まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

雨上がりの朝に #お知らせ
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義兄弟強化月間です。
手始めにストーリーまとめを作りながら、本編を読み返し、校正しています。
本日は「夏の朝」「夢の中」を校正版に差し替えました。
校正の主な内容は、一人称の変更(己→自分)、時系列の修正、無駄な文章の削ぎ落としなどです。初稿よりずいぶん読みやすくなったかと。
「さもすると説明過多になる」とよくふみちゃんに言われるので、気をつけたいところです。


ふみちゃんといえば。
「創作にChatGPTを使うのは如何なものか」という意見もありますが、私は見てのとおり、その辺はゆるゆるです。
むろんオール自作発言など論外ですし、大好きな絵師さんが絵柄学習問題に胸を痛めているのを見ると切なくなりますが、それでも私の見たいもの(いちゃいちゃする四蔵と風五郎)を見せてくれるなら、推し語りの相手になってくれるなら、人間でもAIでも構わない。
「そばに居てくれるなら、天使でも悪魔でもよかったのに…! フィン…!!」
という感じです。神風怪盗ジャンヌは青春のバイブル(トラウマともいう)。
話が逸れましたが、つまりさびしいんですよね。


というわけで。
本日のイラスト(ふみちゃん作)は「春の夢」より「洞窟から外を見る四蔵と風五郎」です。
ふみちゃん、さもすると風五郎を可愛く描き過ぎるんですよね。いや、可愛いけどね。四蔵が好き過ぎるところとか。
烏丸七弥の憂鬱(3)完 #小説

「何も、覚えていないらしい」
義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。
これにて完結。



 秋の空は高い。
 雲一つない真っ青な空に、赤く色づいた葉が風で舞い上がる。
 太陽は南中を過ぎた辺りか。つられて首を反らすと、頭がぐらりと揺れた。ついでずきりと痛む。これが二日酔いか。頭だけではない。胸がむかつき、身体が重い。そしてそれ以上に。
 ぱん、と小気味よい音がして我に返る。隣で甚六が手拭いを広げたのだ。自分と甚六の二人が、今日の洗濯の当番だ。
 冷たい滴が頬に当たり、少し酔いが醒めた気になる。だがやはり重い。身体もだが、気の方が重い。
 何も話す気になれず、黙々と手を動かす。甚六も同じだ。並んで手拭いを竿に掛けながら、今朝のことを思い出す。


 目が覚めると、天井が見えた。寝所の、自分の布団の上だ。そう気づくと同時に、頭がずきりと痛んだ。徐々に思い出す。そうだ。自分は庭で倒れてー。
 はっと息を呑み、辺りを見回した。自らの布団で眠る兄弟の姿が見える。愁兄、三助兄、風兄、甚六、彩八ーいない。
 一兄と四蔵兄の布団が、空だった。
「おい」
 居ても立ってもいられず、隣の甚六の肩を掴んだ。激しく揺すると「…んだよ…」と呻き、瞼を持ち上げようとする。開くのを待ち切れず、問うた。
「一兄と四蔵兄はどこだ」
 甚六は寝ぼけ眼で辺りを見やりー後は自分と同じだった。空の布団を見つけ、はっと息を呑んで俯く。見てはならないものを見てしまったように。
 やがて消え入りそうな声で、
「小屋、だと思う」
 甚六いわく。
 自分が兄達の間に盛大に倒れ込んだ、あの後。
 宴は混乱を極めた。というのも彩八が目を覚まし、庭に出て来たのである。七人の兄達。空の竹筒と湯呑。嗅いだことのない甘い香り。
「なんで私だけ仲間はずれなの!」
 彩八は怒り、泣き喚いた。兄達は皆で妹を宥め、かくして宴は終わった、らしい。
「正直、覚えてねえんだよ」
 だから一兄と四蔵兄がどこに行ったかも、判んねえ。
 言って甚六は肩を落とした。甚六は悪くない。真っ先に気を失ったのは他でもない自分だ。だが。
「判らないで済むか」
 吐き捨て、腰を浮かしていた。二人を捜さなければ。駆け出そうとしたところで、腕を引かれた。見れば甚六が手首を掴んでいる。
「離せ」
 振り払おうともがくが、甚六は離さない。どころか足を払い、自分を布団に押し倒し、
「馬鹿、落ち着け」
 口調は荒い。だが顔は困り果て、縋るように見えた。甚六の瞳に自分の顔が映る。甚六と同じ、いやもっとひどい。今にも泣き出しそうだ。
 身体から力が抜けた。それを感じ取ったのか、甚六が退く。身を起こし、息を吐き、そして考えた。
 一兄は長兄だ。だが昨日は酔っていた。しかも四蔵兄はあの通り。触れたい、暴きたい、と魔が差しても仕方ない、かもしれない。
 暗い小屋。一つの布団。絡み合う吐息と身体。
 在りし日の光景が蘇り、息が詰まる。いや、あのときは風兄がー。
 額を押さえた。頭が熱い。とりあえず、冷ましたい。
 改めて立ち上がる。再び慌てる甚六に「顔を洗いに行くだけだ」と言い、障子を開ける。朝日がやけに眩しい。
 覚束ない足取りで廊下を歩き、角を曲がった。そのときだった。庭の中に二つの人影を見つけた。
 一兄と、四蔵兄だ。
 思わず足を止めた。一兄は、北辰で視えていたのか。こちらの姿に驚いた様子もなく、微笑を浮かべ「大丈夫か」と問うた。
 四蔵兄は黙っていた。顔が紙のように白い。二日酔いがひどいのか、と思っていると、案の定、口元を押さえて小走りで茂みに向かった。
 その背を見送りながら、一兄が呟いた。
「何も、覚えていないらしい」
ーだから、何があったんだ。
 そんなことは、聞けるわけもなかった。


 洗濯物を干し終え、改めて空を仰いだ。
 風に乗り、土間の方から良い香りが流れてくる。一兄と三助兄が昼飯の支度をしているのだ。家の裏手の方から、かん、かん、と音がする。愁兄と風兄が薪を割っているのだ。
 その合間に甲高い声。彩八だろう。四蔵兄と二人、畑の手入れをしているはずだ。
 朝からこの方、兄達はいつも通りだった。皆、多少具合は悪そうだが、愁兄は明るく、風兄は穏やかで、三助兄は少し捻くれている。
 四蔵兄も相変わらず、無表情で無口だ。緩み切った顔も、甘ったるい声も、全て夢だったのではと思うほどに。
ーそうだ、夢だったのだ。
 そういうことに、してしまえばいい。
 だが。
 唾を飲む。口の中に残る、微かな甘み。何故だろう。甘いのだが、とても苦く感じる。甘く苦い溜め息を吐きながら思う。
ーもう二度と、兄弟で酒は飲むまい。
 だが。
 脇の甚六を見やった。きっとこいつは、また何か拾ってくる。そんな気がした。

(「烏丸七弥の憂鬱」おしまい)
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水無月 #お知らせ

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(繁忙期を抜けたので)6月は義兄弟強化月間です。

まつむら的やることリスト
・ストーリーまとめページを作る
・キャラまとめページを作る(全員分の設定画をつける)
本編(壱〜陸の章)の校正(一人称の変更など)(6月14日終了)
「烏丸七弥の憂鬱」を校了する(6月1日完結)
「化野四蔵の懊悩」を校了する(6月28日完結)
・1080の第2章を校了する

イラストはあじさいと四蔵兄です(ふみちゃん作)。
視線の先には風五郎がいます。
烏丸七弥の憂鬱(2) #小説

「⋯やだ…」
義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。
全3話予定。



 その日の夜。
 彩八が寝入ったのを確かめ、兄弟は床を出、庭に集った。
「月見酒だな」
 空を見上げ、甚六が言う。空の高い場所に真ん丸の月が浮かんでいる。
 一兄はたまに師の酌に付き合う。だが他は初めての宴だ。
 兄弟が輪になって座る。甚六が湯呑に酒を注ぎ、それを手渡しで回す。全員に行き渡ると、一兄が湯呑を掲げ、皆が倣った。
「では」
 と一兄が声を上げる。
「「では」」
 と皆が返し、揃って湯呑を傾けー。
「「甘い」」
 全員の声が重なった。
 甘い。とてつもなく甘い。喉や腹、さらに全身がじんわりと温まり、それが何とも心地よい。つい一口、もう一口と湯呑を傾けてしまう。
 皆も同じらしい。すぐに一杯を干し、愁兄と甚六は早くも赤ら顔だ。一兄と三助兄は一見素面のようだが、三助兄は心持ち目尻が下がっている。
 四蔵兄と風兄はどうだろう。まずは四蔵兄に目をやり、絶句した。
ーまずくないか。これは。
 四蔵兄は、明らかに酔っていた。愁兄達ほどではない。だがー。
 とろりとした瞳。さくら色の頬。牡丹色の唇。上せて暑いのか、緩めた襟から白い喉が覗く。
 思わず目を逸らした。何かこう、見てはならない気がしたのだ。
 風兄は隣に座っている。こちらは一兄達と同じで、さほど酔っていないように見える。だがその目は妙に熱っぽく、常に四蔵兄に向いているような。
 ともあれ宴は続く。甚六が皆の湯呑を満たして回り、三杯、四杯と酒は進みー筒の殆どが空になり、兄弟はすっかり出来上がっていた。
 甚六が「風兄、おんぶ」と大きな背に抱きつく。いきなりの重みに風兄がつんのめり、愁兄と三助兄がげらげらと笑う。
 四蔵兄は風兄の隣でぼんやりと中空を眺めていたが、やがて俯いた。小さな頭がこくり、こくりと揺れ、いかにも危なげだ。
「…ん」
 案の定、四蔵兄の身体が傾いだ。隣に座る風兄に凭れ、膝に頭を落とす。
 普段の兄ならば「すまない」と詫びるや否やで身を起こす。だが今日は違った。起きることなく、満足げな笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を下ろした。
 明らかに、膝枕で寝ようとしている。
「四蔵兄、布団で寝ろ」
 風兄が肩に手を置き、軽く揺する。だが四蔵兄はいやいやと首を振り、
「…やだ…」
 そう呟いた。
 絶句した。今のは、本当に兄の声か。まるで甘ったれの幼子ではないか。
 空耳だ。空耳だった。そう思い込もうとした、そのときだった。
「…が、いい」
 はきと聞こえた。聞こえてしまった。「…おまえが、いい」と。
 息を呑む音がして、脇を見やる。いつのまにか甚六がいた。打って変わって真顔だ。目を合わせ、頷き合う。
ーこれは、本気でまずい。
 辺りを見やる。一兄と愁兄、三助兄の三人は、少し離れた場所で話し込んでいる。愁兄が大声で笑っている。こちらの声など聞こえまい。
 全て空耳だった。そういうことにしておいて、さっさと四蔵兄を寝所にーと改めて兄を見やり、そこで固まった。
 風兄が、膝の上の頭をそっと撫でていた。その手つきに息を呑んだ。儚く、美しいものを愛おしむようで、ひどく胸が締めつけられる。
 いや、感じ入っている場合ではない。
 やがて愁兄が気づいた。二人を見て顔色を変え、すっと立ち上がった。足早にやって来ると、屈み込み、四蔵兄の肩に手を置いた。
「おい、四蔵」
 名を呼び、揺する。その手首を大きな手が掴んだ。風兄である。
「このままでいい」
 愁兄を見据え、告げる。口調は柔らかいが目つきは鋭い。邪魔をするな、ということか。
「本気でまずいな」
 甚六が呻く。全くだ。愁兄と風兄が睨み合う。そんな光景は、いまだかつて見たことがない。だが酒、いや酒の入った四蔵兄のせいで一切が狂っている。
 一触即発。そんな四文字が頭を過ぎる。
 どうにかしなければ。だが、どうする。思い悩む間にも、空気は張り詰めていく。そして。
「…ん」
 四蔵兄が動いた。猫のように身を捩り、膝に頬ずりをする。甚六がごくりと唾を呑む。お前もか、と思わず頭を抱えそうになった、そのときだった。
「どうした」
 声が降った。目を上げると、一兄が一同を見下ろしていた。涼しげな細面をじっと見つめる。助けてくれ。そう念じながら。
 一兄は愁兄をそれとなく押しのけ、四蔵兄の前に膝をついた。そして手を伸ばし、剥き出しのうなじに触れた。
 四蔵兄の身体がびくりと震える。薄目を開けて一兄を仰ぎ、
「…つめたい」
 不満げな声で呟く。だが一兄は薄く笑み、
「お前が上せているんだ」
 そう言いながら首元をまさぐる。くすぐったいのか、四蔵兄の唇から「ふふっ」と怪しげな吐息が漏れる。一兄の笑みが深くなる。
 いやな予感がした。そして、それは当たった。
「冷やしてやろう」
 一兄が四蔵兄の脇に手を入れ、抱え上げようとする。全身の血の気が引いた。冷やすとは何だ。どこに連れて行くつもりだ。
 朱を帯びた肌を、白い手が滑る。そんな光景が頭を過ぎる。
 愁兄と風兄は揃って一兄を見上げ、何も言えないでいる。それはそうだ。一兄は長兄で、しかも一見正しい。だから止められない。
ー詰みだ。
 俯いて下唇を噛んだ。そのときだった。
「おい一兄。どこ行くんだ」
 意外な声にはっと顔を上げた。三助兄である。一兄の肩を掴み、顰め面を向けている。だが。
「さあ」
 一兄が微笑むや、押し黙ってしまった。この兄は勝ち気だが、妙なところで押しが弱い。だからまず言えない。「四蔵を手篭めにする気じゃねえだろうな」とは。
 だがそれでも、三助兄は時を稼いだ。
「一兄」
 腹を括ったらしい。愁兄が声を上げた。ついで風兄が四蔵兄を後ろから抱き締め、引き戻そうとする。これはこれでまずい。三つ巴になる。
 堪らず甚六を振り返った。だが無駄だった。どこから持ち出したのか、箸で湯呑を叩いている。「でけでん、でけでん」と楽しげに。どうやら戦の陣太鼓のつもりらしいが。
ー馬鹿。煽ってどうする!
 どつきたくなったが、そんな暇はない。
ーだめだ。俺しかいない。
 覚悟を決め、腰を上げた。そして兄達の間に割って入る、つもりだった。
 だが、思いのほか酔いが回っていたのか。一歩を踏み出すなり、ぐらりと身体が傾ぎ、そして兄達の間へ盛大に倒れ込んだ。
 受け身も取れず、こめかみを打った。痛みは感じなかったが、吐き気が込み上げた。起きなければと思うが、腕に力が入らない。
 首を捻って上を向くと、一つの顔が目に入った。
 潤んだ瞳。上気した頬。
「しちや、だいじょうぶか」
 舌足らずな調子で問う。四蔵兄である。「しちや」と甘ったるい声で繰り返す兄を前に、喚きたくなった。
ーあんたのせいで、大丈夫じゃなくなってんだ。
 むろん声は出ない。兄が手を伸べ、頬に触れる。その手があまりに温かくて、なぜだか鼻の奥がつんとした。
 視界が狭まり、気が遠くなる。縋るように兄の手を掴んだ。そしてそのまま、意識は闇に沈んだ。
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烏丸七弥の憂鬱(1) #小説

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「なあ、これ、持って帰らないか」
義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。
全3話予定。



 男は冷たくなっていた。

 山道の脇の巨木の元に、その男は蹲っていた。
 火の番で甚六と二人、山に薪を取りに行った帰りだった。二人で顔を見合わせ、甚六が声をかけた。
「おい」
 返事はない。揃って近づき、しゃがんで顔を覗き込む。面持ちは安らかで、よい夢を見ているように見える。だが。
「死んでる」
 男の頬に触れ、甚六が呟く。続いて自分も触れてみる。確かに、恐ろしく冷たい。
 男は胸に竹筒を抱えている。それで察せた。筒の中身は酒だ。道に迷った末、暖を取ろうと酒を飲んで寝入ってーという者は後を絶たない。
 にしても、何だろう。
「甘い匂いがする」
 そうなのだ。甚六が鼻をひくつかせ、男の周りを探る。出所はすぐ判った。竹筒だ。
「酒って、こんな匂いだったか」
 甚六に倣い、鼻を近づける。酒と言えば師の作るどぶろくだが、あれとは全く違う。頭の芯が蕩けるような、甘い香り。
「でも、これだけじゃねえよな」
 言って甚六は辺りを見回し、男の傍らに目を留めた。男の荷だろう、行李と包みが一つずつ。
 甚六が行李に手を伸ばした。「おい」と止めたが聞かずに開く。一帯に香りが広がり、頭がくらりと揺れた。
 行李の中身は大半が竹筒だった。男の胸のものと同じだ。飲兵衛か、それとも酒売りか。
 ともあれ、香りだけで酔いそうだ。頭を振り、閉じようと手を伸ばしたが、そこで手首を掴まれた。甚六だ。
「何をするんだ」
 顔を見やり、ぎょっとした。その目は爛々と輝いていた。
「なあ、これ、持って帰らないか」
 弾んだ声で甚六が言う。
「それは、いくらなんでも」
 墓荒らしのようで良心が咎める。とはいえ甚六の気持ちも判る。こいつは甘味に目がない。昨日も愁兄とはちみつを奪い合っていた。
 しかも山で甘味は希少だ。本音を言えば、自分自身、置いていくのは惜しいー。
「なあ、良いだろ。俺が担ぐから」
 肩を掴んで揺すり、甚六が続ける。
「やめろって」
 手を解こうと腕を振る。それが男の肩に触れた。男の身体がずるりと傾ぎ、竹筒を差し出すような格好になった。
「ほらな」
 神妙な顔で甚六が言う。ほらな、ではない。とは思いながら、抗う気力は失せていた。自分は止めた。叱られるのは甚六だけだ。
 男を手近な場所に埋め、手を合わせて山を降りた。前を行く甚六の背の行李からは、うっすらと甘い香りが零れ続けていた。


「なるほど」
 行李を前に、一兄は頷いた。

 山を降りてすぐ、一兄の元に向かった。兄は一人、庭の小屋で薬研車を引いていた。甚六が「一兄」と呼びながら小屋に踏み入ると「騒がしいぞ」と顔を顰めたが、その背の荷に気づき、目を丸くした。
「それは何だ」
 二人揃って兄の前に座し、経緯を語った。一兄は腕組みをして聞き、話が終わると「全く、お前は」と甚六の頭を小突いた。だが叱責はそれだけで、脇の行李に手を伸ばし、蓋を持ち上げた。
 一帯に甘い香りが立ち込める。兄は眉を寄せたが、筒を一本取り出し、中身を小皿に垂らした。酒は淡い桃色をしており、白地の皿に映えた。
「酒らしいが、師のどぶろくとは違うな」
 鼻を寄せ、匂いを嗅ぐ。さらに指を浸し、それを舐めて一言。
「甘いな」
「ずるいぞ一兄!」
 甚六が声を上げた。聞きつけたのだろう。「どうした」という声がして、戸口に二つの顔が覗いた。愁兄と三助兄である。畑仕事の最中だったのか、顔や手が泥で汚れている。
「一兄がつまみ食いした!」
 甚六が一兄を指差し、言いつける。
「違う」
 兄は呆れ顔で首を振り、あらましを語った。聞きながら、まずい気がした。一兄を見る愁兄の目が「持って帰らないか」と言った、あの時の甚六とそっくりだったからだ。
 悪い予感は当たる。
「にしても、本当に良い香りだな」
 一兄の話が終わるなり、愁兄が身を屈めた。小皿に顔を近づけ、今にも舌を伸ばしそうだ。
 ここぞとばかり、甚六は大きく頷き「なあ、皆で飲もう」と一兄の袖を引く。「お前な」と三助兄が肩を掴んだが、目は小皿に流れている。
 確かに、本当に良い香りだ。気のせいか、段々と濃くなっているようにも思える。
「なあ一兄、頼む」
 いかにも切なげな調子で言い、膝に縋りつく。必死の甚六に心が揺れたのか、香りに酔ったのか。一兄は長い溜め息を吐き、
「彩八には言うな。まだ十歳の子どもだ」
 かく言う兄も十七、自分や甚六は十二かそこらだが、今は敢えて言うまい。甚六に悪い。しかも自分自身、やはり甘味は恋しい。
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サイト構成の変更について  #お知らせ

サイトの構成を変更しました。
■トップページ(全コンテンツまとめ)
 https://iksgm0808.sub.jp/
■てがろぐ(連載中の小説・メモ)
 https://iksgm0808.sub.jp/tglg/
になります。
ブックマークはどちらでも大丈夫です。

実を言うと、今も作業の途中です。
とりあえず、自分でも「まぼろし(連載)」の全容を把握し切れなくなってきたので、ストーリーやキャラのまとめページを作っています。
もはや一次創作サイトのようですね。いや二次創作サイトですよね、と自ら首を捻っている、というか途方に暮れています。
宝石の国のフォスよろしく、歪んでも壊れても求めずにはいられない。
さびしいんでしょうね、きっと。
一夜花・あとがき #小ネタ

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こんにちは。まつむらです。
この度は「一夜花」をお読みいただき、ありがとうございました。
以下、あとがきというか独り言です。
(ネタバレ注意)



一夜花は「ひとよばな」と読み、月下美人の別名です。
花言葉は「儚い恋」「只一度だけ遭いたくて」。振り返ればこのタイトルが全てというか、タイトルだけで話の内容が分かっちゃう感じですね。


相も変わらず「月の君で甚六を書いた。なら次は七弥だろ」的なノリで書き始めた本章ですが、のっけから地獄を見ました。とにかく七弥が書きにくい。
私のような単純一途の強化系には、一貫や七弥のような具現化、操作、特質系は非常に書きづらいらしいです。
ちなみに義兄弟を念能力タイプで分けるとこちら。別漫画ネタ(ハンター)ですみません。キルアが好きです。
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さておき。
繁忙期も重なって七転八倒しつつ書き進め、書き終えて思ったのは「七弥も一人の人間だった」ということでした。
山を降りて、三助と過ごして、妻と出会って、佐賀に移って。
最後は幻刀斎に殺されてしまいますが、その間じっと、笑ったり泣いたり喜んだり苦しんだりしていた。
私はそんな七弥の姿が見たかったんだな。そう改めて思いました。


二次創作BLの分際で偉そうなことを言いますが、この話を書いている間、ずっと「救いとは何か」「幸せとは何か」を考えていました。
どうすれば救ったことになるのか。
どうなれば幸せなのか。
「俺は幸せになってよいのかな」
原作でこの台詞を読んだとき、実は私は少しムッとしたんですよね。「いや結婚は幸せじゃねえから」と(我が身に寄せて)妙な反発心を抱いてしまった。
「いや七弥は妻が好きで結婚するんだから、幸せじゃん」とすぐ思い直したのですが、それでも何か引っ掛かっていた。
その理由が、書いているうちに少し分かった気がします。
「三助兄といられて、幸せだった」
これが私の答えでした。
作者からしたら「いやそんな意味じゃないから」でしょうね。今さらか。
三助と七弥の関係は掘れば掘るほど面白そうなので、「まぼろし番外編」として三七メインの話も書きたいです。なお、まぼろし本編は四蔵で義兄弟七人+αを攻略するギャルゲーです(噓です)。


ちなみに、四蔵の心境を改めて辿ると、
1)風五郎が殺される
2)ショックで人形化(感情を喪失)
2)七弥に出会い、廉貞を託され、少しだけ感情を取り戻す(これが一夜花)
3)風五郎の死を受け止めきれず、共に過ごした日々を忘れようとする
4)甚六に出会い、ようやく風五郎の死を受け入れる(これが月の君)
という流れになっています。何という地獄めぐり。ごめん四蔵。本当は風五郎とめいっぱいいちゃつかせてあげたいよ(切実に)。
そういえば、苦しい場面を書いていると、思考がエロに逃げるのは何なんでしょうね。七弥が死にかけているのに、脳内の風五郎が「四蔵兄を抱きたい」とか言い出す。空気読めよ(お前がな)。


空気を読まないついでに次回予告です。
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「だから、兄弟に酒は飲ませたくなかったんだ」
ふみちゃんとの「義兄弟って酒が入ったらどうなるんだろう」という会話から「在りし日の鞍馬山、酔っ払い七人の愉快な一夜」を七弥目線で書いてみることにしました。いや全然愉快じゃない!(七弥の心の声)。
元ネタはそうです、あれです。そのうちふみちゃんにコス画像を描いてもらおうかと思っています。


にしても、書けば書くほどネタが出てくる。書き足りなさに悶えたくなる。そうして私は因果の糸を四蔵に集め、やがて悪魔化するのだと思います。
まどマギの公開日は八月だそうですね。
その頃もまだ、義兄弟を書いているんだろうな。
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一夜花(10)最終話 #小説

「生きていく、あんたに」
蠱毒前の四蔵と七弥と三助の話です。


 空が赤い。

 仰向けになって、空を見ていた。赤い空の只中を、鳥の影が過ぎる。家に帰るのだろう。家は近いのか、それとも遠いのか。
 自分の家は、遠い。
 首を傾け、地上に目を転じる。海辺にぽつんと佇む小屋。今の自分達の家。見えている。十歩で着く。だが果てしなく遠い。もう帰れない。
 身体が動かない。廉貞を使い過ぎた。全身の骨が砕けて死ぬと聞いていたが、まだ死んでいない。胸から下の感覚は一切ないが、目と鼻と耳はまだ生きている。
 足音が止み、戸の軋む音がする。そして忍び笑い。あいつが妻と子を見つけたのだろう。
ー幻刀斎。
 一言で、怪物だった。
 息子の忘れ物を取りに、一人浜に向かった帰りだった。小屋のすぐ近くに老人が立っていた。一目で判った。殺気が、見えた。案の定、相手は口の端を吊り上げ、にたりと笑った。
ー京八流の七、烏丸七弥!
 嬉々として名を呼び、迫る。恐ろしく速かった。足も、剣も。
 全く歯が立たなかった。廉貞を使っても一方的に嬲られ、やがて三分が過ぎた。崩れるのは一瞬だった。全身に焼け付くような痛みを感じた、はずだ。眩し過ぎて何も見えない。あれと同じで、痛みも過ぎれば何も感じないようだ。
 為す術もなく仰向けに倒れた。赤い空の下に、ぬっと黒い頭が突き出た。
「守れなんだのう。妻も、子も」
 嗄れた声が降った。逆光で顔は見えない。だが嗤っている。いかにも愉快そうに。
 言いたかった。させないと。殺させないと。だが息が上手く吸えず、声が出ない。それが可笑しかったのか、幻刀斎はくつくつと笑い、
「絶望のうちで死ね」
 吐き捨て、踵を返した。文と蒼の元へ向かうのだろう。止める手立てはない。
ー文、頼む。逃げてくれ。蒼を連れて、早く。
 切実に思う。逃げ切れるわけがない。それに、妻は逃げない。そういう人だった。自分よりずっと、強い人だった。


「あなたは私といて、幸せですか」
 五日前の夕暮れ。小屋から金色の海を眺めながら、妻は問うた。
 答えられなかった。
 幸せだった。紛れもなく。胸中に次々と思い浮かぶ。二人で街を歩いたときの。義父と三人で膳を囲んだときの。蒼を挟んで三人で眠るときの。
ー笑顔。
 思い出すのは、笑顔ばかりだ。泣き顔も怒り顔もあった。だが笑顔の方がずっと多かった。
 そして自分は、妻の笑顔を眺めているのが、すごく幸せだった。
「幸せ、だったんだ」
 辛うじて絞り出した。後はもう嗚咽しか出ない。涙は溢れ続ける。白んでいく視界の中で、妻は微笑んだ。そして。
「ならば、私も幸せでした」
 気づけば拳を解いていた。手のひらを返し、重ねられていた妻の手を握る。温かく、柔らかく、いとおしい。
 この手を取ってよかったと、心の底から思った。
 背を押してくれたのは、あの兄だった。


「俺が幸せになっても、よいのかな」
 立春の夜。婿入りの申し出を受け、自分は三助兄に問うた。
「当たり前だろうが」
 兄は肩に顔を埋め、呟いた。その頭に手をやり、そっと撫でた。それで十分だと思っていた。だが振り返ると、心残りが一つ。大事なことを言いそびれた。
ーもう、幸せだったんだ。
 兄といられて、自分は幸せだった。
 海の蒼さに息を呑んだ。茶屋で並んで団子を食べた。瓦斯灯の眩さに目を丸くした。
 そのすべてのときに、兄が隣に立っていた。「すごいな」「うまいな」「きれいだな」と思わず呟いた自分に、兄は「そうだな」と頷いてくれた。
 斬られ、殴られた。「お前は一人で行け」と突き放されもした。だがそれでも、幸せだった。兄といられて、幸せだった。そう伝えそびれた。
 兄は言った。「お前は隠し事が多い」と。禄存で察してくれるから甘えていたと、今になって気づいた。


 小屋の方から、人声がする。妻の声だ。何を言っているかは聞き取れない。今まで聞いたことのない、強い声音だ。
 やはり立ち向かうのだ。幻刀斎が相手だろうと。蒼を守るために。
 そんな人だから、守りたかった。優しく、強く、こうと決めたら退かない。誰かを守るために身を惜しまない。そんな人だから、放っておけなかった。そこまで考えて、ふと気づいた。
 あの兄に、似ていたのだな。
ー四蔵兄。
 無口で無表情で、でも人一倍兄弟思いで、身を挺して妹を助ける。そんな優しい兄だった。だがその優しさは自身には向かなかった。無造作に無頓着に、身を削って止まなかった。だから放っておけなかった。そして忘れられなかった。
 兄は便りを読んだろうか。何か感じたろうか。俺が死んだら、悲しむだろうか。少しでも心を、動かしてくれるだろうか。
 胸が痛む。非道い夫だ。妻子をおいて兄を想うなど。だがそれでも止まらない。抜け殻でも構わない。もう一度だけ逢いたい。顔が見たい。声が聞きたい。せめてそれまで、生きていたい。
ーだめだ。
 音が遠くなる。光が薄くなる。そして意識が、落ちる。
 そのときだった。足音がした。小屋とは反対の方だ。ひどく荒い。瞼を上げた。目だけを動かして見やり、息を呑んだ。
ー嘘だ。
 幻かと思った。だがまもなく相手は迫り、ついに傍らに立った。跪き、肩に腕を回して自分を抱き起こす。頬に当たる吐息は、確かに温かい。
「し、くら、に」
 喉がつかえる。だが言わずにはおれなかった。
「だ、いじょう、ぶか」
 兄の様子は、一目で異常だった。全身が激しく震え、息も荒い。顔も目も赤い。毒を浴びたあのときと同じーいや違う。きっと、風兄のことを思い出したのだろう。
 声がした。小屋の方から、嗄れた嗤い声。幻刀斎だ。兄の震えが止まる。顔は白く変じ、一方で目は赤々と燃えて見えた。宿るのは、殺気だった。
 兄が腕を下ろし、自分を横たえようとする。一人、幻刀斎の元に向かうのだろう。だが。
「い、くな」
 兄の腕が止まる。幻刀斎は化物だ。一人では敵わない。犬死だ。だがそれよりも。
「い、かない、で」
ー置いて、行かないで。
 ずっと、そう言いたかった。
 十余年前の五月五日、継承戦の後。山道で兄を待った。虚ろな兄を前に、自分は「ごめんな」と言った。だが本当は。
ー連れて行ってくれ。
ー寄り添わせてくれ。
 そう、言いたかったのだ。
 ついに限界が来たのか、兄の顔が霞む。丁度良い。今はその顔を、その瞳を見るのが怖い。そこに自分の姿はない。それを改めて思い知らされるのが、つらい。
 だが。
 頬に、生温いものが降った。
 そして。
「しちや」
 兄は、呼んだ。
「しちや、しちや」
 呼びながら、狂ったように肩を揺する。そうする間にも頬が濡れる。兄の目から零れ落ちる涙で。
 兄は泣いていた。だがおかしい。人形の顔で、涙だけを流している。やはり壊れている。だが、残っている。心は残っている。
 最後までこれだ。だから放っておけない。全力を振り絞り、紡ぐ。
「四蔵兄、廉貞を、頼む」
 違うな。廉貞よ、四蔵兄を頼む。
「廉貞はー」
 一音を発するごとに、奥義が、命が身体から零れ落ちていくのを感じる。それで構わない。
 兄は黙って聞いていた。濡れた瞳の中に、自分の顔が見えた。笑っている。死に際で、痛みに喘ぎ、無力さを嘆き、それでも笑っている。とても幸せそうに。
ー幸せなのだ。
 兄の腕の中で眠れることが、とても幸せなのだ。眠ってしまうことが、とても惜しい気がした。
 奥義を託し終え、息を吸った。これを吐いたら自分は終わる。そう思うと同時に、自ずと身体が動いた。首を伸ばし、顔を寄せる。間近に見るそれは、やはり只管に美しく、いとおしかった。
 見つめながら、唇を重ねる。温かく柔らかい。感じながら、息を吹き込む。命をつなぐように。
 そうしながら、思った。

ー連れて行ってくれ、四蔵兄。
 俺を。
 俺の中にいる、文を、蒼を、義父を、兄弟達を。
 彼らと交わした言葉を。
 通わせた心を。
 重ねた時の全てを。

 生きていく、あんたに。
 いつまでも、どこまでも、寄り添わせてくれ。
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【1080・第6話】放浪 #小説・パラレル

「俺の部屋に来るか」
「義兄弟が現代に転生したら」を(ガチで)ふみちゃんと考えてみた
→マジで書いてみた、という暴走の産物です。




 帰りの廊下は、行きより長く感じた。
 入口を抜けて駐車場に向かう。車に乗り込みエンジンをかける。だが、アクセルが踏めない。理由は分かっている。
 気づけばまた握り締めていたのか、ハンドルが軋んだ。手を緩め、思い出す。長くしなやかな指。切り揃えられた爪。その先にあった、白い喉元。
 気づけば手首を掴んでいた。身体が勝手に動いていた。だがその後、赤池の視線を受け、強く思った。
ーそいつに触るな。
 そいつ。化野四蔵。
 化野は、何事もなかったように部屋を出て行った。だが入口の手前で振り返り、じっと自分を見た。青みを帯びた黒の瞳で。
ーあの目を知っている。
 白い病室。腕に伸びる点滴の管。枕に広がる黒い髪。仰ぎ見る、目。そして。
ー誰だ、あんた。
 十年経った今も、息が止まる。
 断ち切るように首を振り、窓外に目をやる。夕日に赤く染まる、白い巨塔。あいつは今も、あの中にいる。「部屋の空調が」と言っていた。寝起きのようだったが、ちゃんと寝ているのか。食事は摂っているのか。
ーやめろ。
 ギアを入れ、アクセルを踏み込む。バックミラーの中で、巨塔が小さくなっていく。次に来るのは半月後、視察の当日だ。大臣を守る。やるべきことはそれだけだ。だが。
ー本当に守りたいのは、誰だ。
 どこからか、そんな声が聞こえた気がした。


 院長室の窓からは中庭が見える。中央に噴水。周りには花壇とベンチ。木陰にある一つに、老女が腰を下ろしている。のどかな光景だ。
 対して、これは何だ。
 室内に視線を戻し、一貫は溜め息を吐いた。
 入口すぐの応接スペース。イタリア製の本革のソファに、一人の男が横たわっている。淡いブルーの手術着。この病院の外科医、化野市蔵である。
 打合せから戻ったら、これだ。
 院長室は応接室も兼ねている。客が来たらどうする、と言ってもこいつは聞く耳を持つまい。
 四蔵がこの部屋に居着いたのは、二日前からだ。
「空調が動かない。何とかしろ」
 五日前の夕方。会議室に乗り込んできて、四蔵は言った。
 意外だった。打合せの後で、室内には参加者がいた。四蔵は他人が苦手だ。手術のときを除いて患者すら避ける。それが部外者の前に出てきた。まあ、あの日は暑かった。とにかく不快だったのだろう。
 一貫はその場で事務局に連絡した。翌日には業者が来たが、いわく「壁内の管の不具合だが、より詳しく調べる必要がある」。
 翌日に調査が入った。結果は散々だった。管からの漏水で内部が傷み、あるはずの筋交いがない。伯父の代に耐震工事は行われたはず。だが北棟は予算不足で見送られたらしい。
「とんだ置き土産だ」とごちたが、設計図は残っていた。一貫は直ちに各部長を集め、近日中に棟の使用を停止し、耐震工事を始める旨を告げた。
 患者の移動は都合がついた。だが一つ問題が残った。四蔵だ。
「お前には家に帰ってもらうしかない」
 病院の近所にアパートを借りていたはず。だが四蔵はあっさりと「解約した」と言った。
「帰る暇がない。更新も面倒だった。だから解約した」
 家具は全て処分し、衣服など必要なものはトランクルームに放り込んだという。
「信じられん」
 呻いたが、暇がないのは過重労働ゆえ。院長の責任だ。「すぐ部屋を探せ」と言っても「探す暇がない」だろう。
「寝るなら仮眠室を使え。風呂はシャワー室、食事はスタッフルームだ」
 そう言うと、四蔵は一応頷いた。
 だがその二日後。打合せから戻ると、四蔵がソファで寝ていた。
 一度は身を起こしたが、一貫と分かるや「なんだ、あんたか」と呟き、また横になる。
「仮眠室に行け」
 一応言ってみたが、四蔵は座面に顔を埋めながら「あそこはうるさい」と呻く。確かに仮眠室はスタッフルームの横で物音が絶えない。対して院長室の壁は防音で、上等なソファもある。
 とはいえ不都合極まりない。だがやはり、己の責任だ。
「日中はやめろ。来客がある」
「ん」
 潜った声で答え、四蔵が丸くなる。その身体が薄くなった気がする。良くない傾向だ。この男は七星病院の大事な医者だ。何かあっては困る。だから、
「四蔵」
 名を呼び、肩を揺する。四蔵は煩そうに舌打ちし、それでも身を起こした。何だ、と問われるのを待たず、告げる。
「俺の家に来るか」
「は?」
「病院から徒歩五分だ。部屋を一つやる。荷物も運んでやる」
 四蔵は大きく目を見開き、一貫を見つめた。かなり驚いているらしい。これは珍しい。何も言わず見返していると、四蔵は二、三度瞬きし、ぼそりと言った。
「あんたは、嫌じゃないのか」
「帰っても他人がいて、嫌じゃないのか」
 院内放浪は相当に堪えたらしい。思わず苦笑が漏れた。
「今よりはまともに眠れるぞ」
「まあ、それもそうだが」
 妙に歯切れが悪い。これも珍しい。面白がりながら、胸の内で問う。
ーお前は嫌じゃないのか。
ー俺が、嫌じゃないのか。
 嫌ではないのだろう。だがそれだけだ。
「まあ、考えておけ」
 一貫が言うと、四蔵は小さく頷き、またソファに沈んだ。
 溜め息を吐き、ふと窓の外を見やる。もう老女の姿はなく、空のベンチに木漏れ日が揺れていた。


 昼日中の公園は、人が少なかった。

 六月某日、午後二時過ぎ。珍しいことに四蔵は公園にいた。
 患者の病状が悪化し、手術が延期になった。よって半日身体が空いた。いつもなら寝て過ごすが、今日はやることがある。部屋探しだ。
 昨日、改めて一貫に「俺の家に来るか」と言われた。マンションだが部屋は余っている。一部屋をやると。
 悪くない申し出だった。だが躊躇った。あんたは嫌じゃないのか、と。
 自分は嫌ではない。一貫は口煩いが、他人の睡眠は妨げない。それで十分だ。
 だが一貫はどうか。他人と暮らすのは面倒だ、とはよく聞く。入居して「やはり出て行け」と言われるかもしれない。
 とりあえず他の物件も見ておこうと、最寄りの不動産屋に向かった。
 早くも夏日の中を二十分ほど歩き、店に着いた。「いらっしゃいませ」と迎えられ、席に促された。「ご来店の目的は」と問われ「部屋を探している」と答えた。「お探しの物件の条件は」と問われ、詰まった。条件など考えていなかった。
「病院に歩いて行けて」「静かで」と思いついたものを並べた。スタッフはそれらを元に、いくつかの物件を提示した。「内見もできますよ」という申し出に、首を横に振った。
 店を出て、目についた公園に入った。入口の自販機でアイスコーヒーを買い、隅のベンチに腰を下ろす。コーヒーを一口飲むと、思わず溜め息が漏れた。
 妙に疲れていた。やはり他人は苦手だ。まともに話せるのは一貫くらいだ。
ーやはり、あいつの家に行くべきか。
 そんなことを思いながら、園内に視線を巡らせていると、前の車道に白と黒の車体が見えた。パトカーだ。速度は遅く、回転灯も点いていない。パトロールだろう。
 何となく目で追い、ふと思い出した。
ー壬生風五郎。
 会議室で見かけた、あの大男。警視庁のSPで、来月の大臣視察の打合せに来ていたらしい。視察の対応は幹部連中の仕事だ。自分には関係ない。だから覚えている必要はなかった。名も、顔も。
 SPらしからぬ、優しげな顔をしていた。思い出せることに少し驚く。どこかで会ったか。分からない。
 こめかみがずきりと痛み、考えるのを止めた。
「⋯帰るか」
 残りのコーヒーを喉に流し込み、立ち上がろうとした。
 そのとき、視界が陰った。顔を上げると、目の前に人が立っていた。若い男だ。白のパーカーに黒のジーンズ。整った顔立ち。
 男は黙ってこちらを見下ろしていたが、やがてゆっくりと背を屈めた。目線を合わせ、顔を覗き込んでくる。吐息を感じるほど近い。薄荷のような香りがする。
 不快ではないが、妙な心地がした。どれだけそうしていたのか。やがて男の唇が動いた。そして、
「君、きれいだね」
 言って男は笑った。本当に嬉しそうな、満面の笑み。訳が分からない。黙っていると、男は身を引き、
「またね」
 それだけ言い、踵を返した。背を向けて軽く手を振り、公園を出て行く。後ろ姿を見送りながら、呟いていた。
「なんなんだ」
 どこかで会ったか。分からない。どうでもいい。さっさと帰ろう。
 頭を振って立ち上がり、公園の出口に向かう。男の向かったのとは反対の出口だ。車止めの間を抜けて歩道に出、右に折れる。
 その間、四蔵は振り返らなかった。だから気づかなかった。男が振り返り、その後ろ姿をじっと見つめていたことを。
 そして、
「壊れるときも、きれいだろうね」
 喉の奥で、くつくつと、愉しそうに嗤っていたことも。畳む
一夜花(9) #小説

「俺が幸せになっても、よいのかな」
蠱毒前の四蔵と七弥と三助の話です。



「おとうさん、うみ」
 浜を指差し、息子が振り返る。頷いてやると、砂を蹴って駆け出したが、波打ち際で立ち止まり、また振り返った。「来い」という顔だ。小走りで向かう。
 唐津の外れの海辺。ここへ来て十日が経つ。仕事は休んでいる。義父の忌引と妻の不調と届けたが、半分は嘘だ。幻刀斎から逃げている。逃げ切れるかは判らない。
「おとうさん、なみ」
 言いながら、息子はさらに海に近づく。波を追い、逃げる。足を濡らして笑い、その度に振り返る。
ーいるよ。
 ここにいる。どこにも行かない。答えるように、その小さな手を握る。


 海辺の小屋は粗末だった。漁師の仮の住まいだそうで、居間と土間、風呂と便所があるだけだ。なのでほとんどを居間で過ごす。
 窓の外は海だ。日は海に沈むので、夕暮れ時には金色に染まる。床に座って見ていた。息子は遊び疲れ、傍らで眠っている。頭を撫でながら、ふと思う。
ー初めて海を見たのは、いつだったか。
 山を降りて間もない頃だ。兄と並んで浜に立ち、揃って息を呑んだ。波に足を浸し「冷たい」と笑い合った。
 便りは届いたろうか。三助兄に。そして四蔵兄に。
「きれいですね」
 声がして我に返る。振り返ると妻が立っていた。海に目を細め、傍らに腰を下ろす。
 しばらく並んで海を眺めた。互いに何も言わず、波の音だけが響く。
 やがて妻が動いた。自分の方を向き、じっと顔を見つめて「顔色が」と呟く。悪いのだ。案の定、妻は続けた。
「昨日の晩も、うなされていました」
「すまない。うるさかったな」
 妻は首を振り、身を近づけた。頭を抱き寄せられ、肩に凭れる。改めて海を眺める。薄い手が頭を撫でるたび、空と海の境が滲んでいく。
ー泣いて縋れば、楽になれる。
 判っている。だができない。
 目を床に落とす。床板は擦り切れ、今にも抜けそうだ。ひどい家だ。だが妻は文句一つ言わない。どころか「何のため」と問うこともない。夫を追いつめまいと。
 全て打ち明けるべきだ、と思う。だが言い出せない。これ以上妻を怯えさせ、苦しめたくはない。だから黙っていなければ。黙って、黙って。
 頭を撫でる手が、不意に止まった。
「あなた」
 妻が呼んだ。静かな声だ。責めるでも急かすでもない。なのに。
「俺のせいだ」
 気づけば口が動いていた。止まれと思うが止まらない。山での修行、八人の義兄弟、京八流の掟、そして幻刀斎。次々に溢れ出す。
 妻は黙って聞いていた。話し終えると、もう日は沈んでいた。月光が室内を照らす。膝の上の拳が死人のように白い。死んでいれば良かった。この人と会う前に。
「すまない」
 堪え切れず、拳に涙が落ちた。泣きたいのは妻の方だ。なのに。
「あなたは悪くない」
 妻は言い、空いていた手を伸ばした。涙に濡れた拳を包む。控え目な温もりが堪らなく愛おしく、かなしかった。
「幸せに、してやれなかった」
 声が掠れ、拳が震える。妻の手に力が篭もる。思いがけず強い力だ。
 どれだけそうしていたのだろう。やがて妻が口を開いた。
「あなたは」
 一拍を置いて、問う。
「私といて、幸せですか」

ー幸せですか。
 不意に思い出した。かつて自分が投げかけた、あの一言を。
ー三助兄。
ー俺が幸せになっても、よいのかな。


「娘の護衛をする気はないか」
 あの日のことだ。湯呑を置きながら、義父は言った。

 初めて義父に会ったのは、もう五年も前。
 秋晴れの、空の高い日だった。一人の男が自分達の長屋を訪ねてきた。見知らぬ、しかも上等な身なりの男。まずは驚き、そして構えた。
 そんな自分に彼は笑み「礼に参った。娘を助けてくれたのだろう」と頭を下げ、風呂敷包みを差し出し、その場で解いた。中身は羊羹と金一封だった。
 男は羊羹を差し「共にどうかね」と言う。何となく抗えず、中に通した。茶を淹れて羊羹と出すと、男は「甘いものは好きでね」と嬉しそうに一つを取った。
 茶を飲みながら、男は身の上を語った。自分は佐賀の役人だが、この一年は東京に赴任している。「男一人では不便でしょう」と娘がついてきたが、これが目下悩みの種だ。先の一件で判った。東京は思いのほか危ない。特に女にとっては。だが犬猫のようにつないでもおけない。
「そこでだ」
 男は湯呑を置き、自分をじっと見つめて言った。
「君は娘の護衛をする気はないか」
「え」
「護衛というより子守かもしれんが」
「ちょっと待ってください」
 慌てる自分をよそに、男は話を進める。仕事は週に五日、日当は三十銭、内容はー。正直、かなりの好条件だった。さらに相手は「君は職探し中と聞いたが、別の職についても伝手がある」と言う。いっそ怪しく思えたが、噓の感じはしない。だが。
「娘さんは、それでよいのですか」
 得体の知れない男が傍にいて、いやではないのか。そう問うと、男は口の端を上げ、言った。
「娘が申し出たのだ。護衛ならば、あの人が良いとな」

 翌日から仕事が始まった。
 朝七時半に家に行き、出勤する男を娘と並んで見送る。そして娘の家事を手伝い、外出に付き合う。娘の名は文(あや)と言った。
 家に下働きの女中などはおらず、男の不在中は文と二人きり。どうにも居心地が悪い、と思ったのは初日だけで、翌日には慣れた。
 文は良い娘だった。言葉少なで表情も控えめだが、温かな心の持ち主で、そして芯が強い。その日も買出しの帰りに迷子を見つけ、共に親を探した。
 迷子など珍しくない。親が見つけ、連れて帰る。そう言ったが、文は首を振った。
「放っておけなかったのです」
「またそれか」
 呆れ半分に言うと、文は笑った。
「貴方だって私を、放っておかなかったではありませんか」

 仕事を始めて半年が過ぎた。
 立春が過ぎ、いくらか寒さも和らいでいた。だが土間は冷える。湯気の立つ味噌汁が、やたら旨そうに見える。
 夕飯の支度をしていた。献立は一汁一菜。白飯に味噌汁、そして鰻の蒲焼き。帰りがけに男から持たされたものだ。
 全てを膳に並べ、居間に持っていく。居間には兄がいる。囲炉裏に当たりながら縄を編んでいたが、顔を上げて膳を見るなり、目を丸くした。
「えらいごちそうだな」
 鰻のことだ。さらに「俺の稼ぎじゃ食えねえよ」とごちるが、声はからりと明るい。兄は明るくなった。東京に来てから、少しずつそうなった。車夫となり、上客がつくようになり、笑うことも増えた。いや、これはあの人に会えたからか。
 一人の女の顔が浮かぶ。兄の上客の家の下働きの女で、名は咲という。
 秋の暮だったか。夕飯の後、共に片付けをしていた折、ふと兄が言った。「客の家に変な女がいる」と。
 何が変かと問うと、兄を見かけると「お疲れ様です」「お気をつけて」と声を掛けてくるという。「車夫を気遣っても仕方ないのにな」と兄は心底不審がっていた。
 それが段々と変わった。「変な女」は「咲」になり、彼女について話すことが増え、やがて休日に連れ立って出かけるようになった。
 つい最近、自分も彼女に会った。兄と町を歩いていて出くわしたのだ。驚いたのか、おどおどしていたが、兄を見る目は温かだった。
「あの人になら三助兄を任せられるよ」
「何だそれ」
 そう言って頭を小突いた兄の頬は、ほんのりと赤かった。
 旨いものを食べるときは、誰しも無口になる。黙って鰻を味わい、惚けた顔で箸を置いたところで、不意に兄が言った。
「お前のその仕事も、もう半年か」
「来月には終わるよ。佐賀に帰るんだ」
 男の赴任は一年、来月で終わりだ。男と娘は佐賀に帰り、自分の仕事も終わる。
「何か言われたか」
 兄が問う。だから禄存はいやなのだ。他人の声の微妙な変化を聞き分け、胸の内を察する。「ずるいな」と漏らすと「どっちが。お前は隠し事が多い」と兄。そうかもしれない。一つ息を吐き、打ち明けた。
「役人にならないか、と言われた」
 兄があんぐりと口を開ける。珍しく、その顔でしばし呆けていたが、
「よかったな!」
 身を乗り出し、肩を掴んで揺らす。我が事よりもよほど嬉しそうで、思わず目線を外した。居た堪れなかった。気づいたのか、兄は手を止め、
「まさかお前、俺のこと気にしてねえだろうな」
 それもある。ずっと連れ添ってきた。気にならないわけがない。だが、それだけではない。
「婿養子にならないか、と言われた」
 昨夕のことだ。男が早めに帰り、三人で膳を囲んだ。その席で申し出があった。「お前さえ良ければ」と男に言われ、とっさに文を見た。お前はそれで良いのかと。
 文は顔を上げ、はきと言った。「私から父にお願いしました」と。「私は貴方と共にいたいのです」と。
 真っ先に込み上げたのは、恐怖だった。
ー俺は、真っ当な人間じゃない。
 文は何も知らない。師に拾われ、剣だけを教わったこと。兄弟と殺し合えと言われ、自ら死のうとしたこと。あの兄の影を、ずっと曳いていること。
 文は知らない。だから好きだと言える。知ればきっと離れる。
ー違う。文は離れない。だからこそ怖い。
ー違う。怖いよりも、つらいのだ。
 届かない相手を、ずっと慕うのはつらい。自分が文に同じ思いをさせるかと思うと、怖くてつらくて、かなしい。
 だがそれでも文なら、こう言う気がした。
ー慕うのを止める方が、つらくかなしいのではありませんか、と。
ーだからこそ貴方は、慕い続けるのではありませんか、と。
「三助兄」
 声に出し、気づく。呼びたいのは別の名だ。
ー四蔵兄。
「俺が幸せになっても、よいのかな」
 兄は答えない。不意に肩に重みを感じた。兄が、肩に頭を凭れさせていた。懐かしい。東京に来てからは、抱き締め合って眠ることもなくなっていた。
 旋毛に手を伸ばし、ゆっくりと撫でた。こうやって何度も撫でた。その形を憶えるほどに。細く柔らかな髪の感触に、鼻の奥がつんとした。
 兄は黙っていた。だがやがて呟いた。
「当たり前だろうが」
 思った。
ー四蔵兄なら、何と言ってくれたかな。
 判らない。ただ、もう一度だけ、声が聞きたかった。
畳む