まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

【1080・第6話】放浪 #小説・パラレル

「俺の部屋に来るか」
「義兄弟が現代に転生したら」を(ガチで)ふみちゃんと考えてみた
→マジで書いてみた、という暴走の産物です。




 帰りの廊下は、行きより長く感じた。
 入口を抜けて駐車場に向かう。車に乗り込みエンジンをかける。だが、アクセルが踏めない。理由は分かっている。
 気づけばまた握り締めていたのか、ハンドルが軋んだ。手を緩め、思い出す。長くしなやかな指。切り揃えられた爪。その先にあった、白い喉元。
 気づけば手首を掴んでいた。身体が勝手に動いていた。だがその後、赤池の視線を受け、強く思った。
ーそいつに触るな。
 そいつ。化野四蔵。
 化野は、何事もなかったように部屋を出て行った。だが入口の手前で振り返り、じっと自分を見た。青みを帯びた黒の瞳で。
ーあの目を知っている。
 白い病室。腕に伸びる点滴の管。枕に広がる黒い髪。仰ぎ見る、目。そして。
ー誰だ、あんた。
 十年経った今も、息が止まる。
 断ち切るように首を振り、窓外に目をやる。夕日に赤く染まる、白い巨塔。あいつは今も、あの中にいる。「部屋の空調が」と言っていた。寝起きのようだったが、ちゃんと寝ているのか。食事は摂っているのか。
ーやめろ。
 ギアを入れ、アクセルを踏み込む。バックミラーの中で、巨塔が小さくなっていく。次に来るのは半月後、視察の当日だ。大臣を守る。やるべきことはそれだけだ。だが。
ー本当に守りたいのは、誰だ。
 どこからか、そんな声が聞こえた気がした。


 院長室の窓からは中庭が見える。中央に噴水。周りには花壇とベンチ。木陰にある一つに、老女が腰を下ろしている。のどかな光景だ。
 対して、これは何だ。
 室内に視線を戻し、一貫は溜め息を吐いた。
 入口すぐの応接スペース。イタリア製の本革のソファに、一人の男が横たわっている。淡いブルーの手術着。この病院の外科医、化野市蔵である。
 打合せから戻ったら、これだ。
 院長室は応接室も兼ねている。客が来たらどうする、と言ってもこいつは聞く耳を持つまい。
 四蔵がこの部屋に居着いたのは、二日前からだ。
「空調が動かない。何とかしろ」
 五日前の夕方。会議室に乗り込んできて、四蔵は言った。
 意外だった。打合せの後で、室内には参加者がいた。四蔵は他人が苦手だ。手術のときを除いて患者すら避ける。それが部外者の前に出てきた。まあ、あの日は暑かった。とにかく不快だったのだろう。
 一貫はその場で事務局に連絡した。翌日には業者が来たが、いわく「壁内の管の不具合だが、より詳しく調べる必要がある」。
 翌日に調査が入った。結果は散々だった。管からの漏水で内部が傷み、あるはずの筋交いがない。伯父の代に耐震工事は行われたはず。だが北棟は予算不足で見送られたらしい。
「とんだ置き土産だ」とごちたが、設計図は残っていた。一貫は直ちに各部長を集め、近日中に棟の使用を停止し、耐震工事を始める旨を告げた。
 患者の移動は都合がついた。だが一つ問題が残った。四蔵だ。
「お前には家に帰ってもらうしかない」
 病院の近所にアパートを借りていたはず。だが四蔵はあっさりと「解約した」と言った。
「帰る暇がない。更新も面倒だった。だから解約した」
 家具は全て処分し、衣服など必要なものはトランクルームに放り込んだという。
「信じられん」
 呻いたが、暇がないのは過重労働ゆえ。院長の責任だ。「すぐ部屋を探せ」と言っても「探す暇がない」だろう。
「寝るなら仮眠室を使え。風呂はシャワー室、食事はスタッフルームだ」
 そう言うと、四蔵は一応頷いた。
 だがその二日後。打合せから戻ると、四蔵がソファで寝ていた。
 一度は身を起こしたが、一貫と分かるや「なんだ、あんたか」と呟き、また横になる。
「仮眠室に行け」
 一応言ってみたが、四蔵は座面に顔を埋めながら「あそこはうるさい」と呻く。確かに仮眠室はスタッフルームの横で物音が絶えない。対して院長室の壁は防音で、上等なソファもある。
 とはいえ不都合極まりない。だがやはり、己の責任だ。
「日中はやめろ。来客がある」
「ん」
 潜った声で答え、四蔵が丸くなる。その身体が薄くなった気がする。良くない傾向だ。この男は七星病院の大事な医者だ。何かあっては困る。だから、
「四蔵」
 名を呼び、肩を揺する。四蔵は煩そうに舌打ちし、それでも身を起こした。何だ、と問われるのを待たず、告げる。
「俺の家に来るか」
「は?」
「病院から徒歩五分だ。部屋を一つやる。荷物も運んでやる」
 四蔵は大きく目を見開き、一貫を見つめた。かなり驚いているらしい。これは珍しい。何も言わず見返していると、四蔵は二、三度瞬きし、ぼそりと言った。
「あんたは、嫌じゃないのか」
「帰っても他人がいて、嫌じゃないのか」
 院内放浪は相当に堪えたらしい。思わず苦笑が漏れた。
「今よりはまともに眠れるぞ」
「まあ、それもそうだが」
 妙に歯切れが悪い。これも珍しい。面白がりながら、胸の内で問う。
ーお前は嫌じゃないのか。
ー俺が、嫌じゃないのか。
 嫌ではないのだろう。だがそれだけだ。
「まあ、考えておけ」
 一貫が言うと、四蔵は小さく頷き、またソファに沈んだ。
 溜め息を吐き、ふと窓の外を見やる。もう老女の姿はなく、空のベンチに木漏れ日が揺れていた。


 昼日中の公園は、人が少なかった。

 六月某日、午後二時過ぎ。珍しいことに四蔵は公園にいた。
 患者の病状が悪化し、手術が延期になった。よって半日身体が空いた。いつもなら寝て過ごすが、今日はやることがある。部屋探しだ。
 昨日、改めて一貫に「俺の家に来るか」と言われた。マンションだが部屋は余っている。一部屋をやると。
 悪くない申し出だった。だが躊躇った。あんたは嫌じゃないのか、と。
 自分は嫌ではない。一貫は口煩いが、他人の睡眠は妨げない。それで十分だ。
 だが一貫はどうか。他人と暮らすのは面倒だ、とはよく聞く。入居して「やはり出て行け」と言われるかもしれない。
 とりあえず他の物件も見ておこうと、最寄りの不動産屋に向かった。
 早くも夏日の中を二十分ほど歩き、店に着いた。「いらっしゃいませ」と迎えられ、席に促された。「ご来店の目的は」と問われ「部屋を探している」と答えた。「お探しの物件の条件は」と問われ、詰まった。条件など考えていなかった。
「病院に歩いて行けて」「静かで」と思いついたものを並べた。スタッフはそれらを元に、いくつかの物件を提示した。「内見もできますよ」という申し出に、首を横に振った。
 店を出て、目についた公園に入った。入口の自販機でアイスコーヒーを買い、隅のベンチに腰を下ろす。コーヒーを一口飲むと、思わず溜め息が漏れた。
 妙に疲れていた。やはり他人は苦手だ。まともに話せるのは一貫くらいだ。
ーやはり、あいつの家に行くべきか。
 そんなことを思いながら、園内に視線を巡らせていると、前の車道に白と黒の車体が見えた。パトカーだ。速度は遅く、回転灯も点いていない。パトロールだろう。
 何となく目で追い、ふと思い出した。
ー壬生風五郎。
 会議室で見かけた、あの大男。警視庁のSPで、来月の大臣視察の打合せに来ていたらしい。視察の対応は幹部連中の仕事だ。自分には関係ない。だから覚えている必要はなかった。名も、顔も。
 SPらしからぬ、優しげな顔をしていた。思い出せることに少し驚く。どこかで会ったか。分からない。
 こめかみがずきりと痛み、考えるのを止めた。
「⋯帰るか」
 残りのコーヒーを喉に流し込み、立ち上がろうとした。
 そのとき、視界が陰った。顔を上げると、目の前に人が立っていた。若い男だ。白のパーカーに黒のジーンズ。整った顔立ち。
 男は黙ってこちらを見下ろしていたが、やがてゆっくりと背を屈めた。目線を合わせ、顔を覗き込んでくる。吐息を感じるほど近い。薄荷のような香りがする。
 不快ではないが、妙な心地がした。どれだけそうしていたのか。やがて男の唇が動いた。そして、
「君、きれいだね」
 言って男は笑った。本当に嬉しそうな、満面の笑み。訳が分からない。黙っていると、男は身を引き、
「またね」
 それだけ言い、踵を返した。背を向けて軽く手を振り、公園を出て行く。後ろ姿を見送りながら、呟いていた。
「なんなんだ」
 どこかで会ったか。分からない。どうでもいい。さっさと帰ろう。
 頭を振って立ち上がり、公園の出口に向かう。男の向かったのとは反対の出口だ。車止めの間を抜けて歩道に出、右に折れる。
 その間、四蔵は振り返らなかった。だから気づかなかった。男が振り返り、その後ろ姿をじっと見つめていたことを。
 そして、
「壊れるときも、きれいだろうね」
 喉の奥で、くつくつと、愉しそうに嗤っていたことも。畳む