まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

烏丸七弥の憂鬱(2) #小説

「⋯やだ…」
義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。
全3話予定。



 その日の夜。
 彩八が寝入ったのを確かめ、兄弟は床を出、庭に集った。
「月見酒だな」
 空を見上げ、甚六が言う。空の高い場所に真ん丸の月が浮かんでいる。
 一兄はたまに師の酌に付き合う。だが他は初めての宴だ。
 兄弟が輪になって座る。甚六が湯呑に酒を注ぎ、それを手渡しで回す。全員に行き渡ると、一兄が湯呑を掲げ、皆が倣った。
「では」
 と一兄が声を上げる。
「「では」」
 と皆が返し、揃って湯呑を傾けー。
「「甘い」」
 全員の声が重なった。
 甘い。とてつもなく甘い。喉や腹、さらに全身がじんわりと温まり、それが何とも心地よい。つい一口、もう一口と湯呑を傾けてしまう。
 皆も同じらしい。すぐに一杯を干し、愁兄と甚六は早くも赤ら顔だ。一兄と三助兄は一見素面のようだが、三助兄は心持ち目尻が下がっている。
 四蔵兄と風兄はどうだろう。まずは四蔵兄に目をやり、絶句した。
ーまずくないか。これは。
 四蔵兄は、明らかに酔っていた。愁兄達ほどではない。だがー。
 とろりとした瞳。さくら色の頬。牡丹色の唇。上せて暑いのか、緩めた襟から白い喉が覗く。
 思わず目を逸らした。何かこう、見てはならない気がしたのだ。
 風兄は隣に座っている。こちらは一兄達と同じで、さほど酔っていないように見える。だがその目は妙に熱っぽく、常に四蔵兄に向いているような。
 ともあれ宴は続く。甚六が皆の湯呑を満たして回り、三杯、四杯と酒は進みー筒の殆どが空になり、兄弟はすっかり出来上がっていた。
 甚六が「風兄、おんぶ」と大きな背に抱きつく。いきなりの重みに風兄がつんのめり、愁兄と三助兄がげらげらと笑う。
 四蔵兄は風兄の隣でぼんやりと中空を眺めていたが、やがて俯いた。小さな頭がこくり、こくりと揺れ、いかにも危なげだ。
「…ん」
 案の定、四蔵兄の身体が傾いだ。隣に座る風兄に凭れ、膝に頭を落とす。
 普段の兄ならば「すまない」と詫びるや否やで身を起こす。だが今日は違った。起きることなく、満足げな笑みを浮かべ、ゆっくりと瞼を下ろした。
 明らかに、膝枕で寝ようとしている。
「四蔵兄、布団で寝ろ」
 風兄が肩に手を置き、軽く揺する。だが四蔵兄はいやいやと首を振り、
「…やだ…」
 そう呟いた。
 絶句した。今のは、本当に兄の声か。まるで甘ったれの幼子ではないか。
 空耳だ。空耳だった。そう思い込もうとした、そのときだった。
「…が、いい」
 はきと聞こえた。聞こえてしまった。「…おまえが、いい」と。
 息を呑む音がして、脇を見やる。いつのまにか甚六がいた。打って変わって真顔だ。目を合わせ、頷き合う。
ーこれは、本気でまずい。
 辺りを見やる。一兄と愁兄、三助兄の三人は、少し離れた場所で話し込んでいる。愁兄が大声で笑っている。こちらの声など聞こえまい。
 全て空耳だった。そういうことにしておいて、さっさと四蔵兄を寝所にーと改めて兄を見やり、そこで固まった。
 風兄が、膝の上の頭をそっと撫でていた。その手つきに息を呑んだ。儚く、美しいものを愛おしむようで、ひどく胸が締めつけられる。
 いや、感じ入っている場合ではない。
 やがて愁兄が気づいた。二人を見て顔色を変え、すっと立ち上がった。足早にやって来ると、屈み込み、四蔵兄の肩に手を置いた。
「おい、四蔵」
 名を呼び、揺する。その手首を大きな手が掴んだ。風兄である。
「このままでいい」
 愁兄を見据え、告げる。口調は柔らかいが目つきは鋭い。邪魔をするな、ということか。
「本気でまずいな」
 甚六が呻く。全くだ。愁兄と風兄が睨み合う。そんな光景は、いまだかつて見たことがない。だが酒、いや酒の入った四蔵兄のせいで一切が狂っている。
 一触即発。そんな四文字が頭を過ぎる。
 どうにかしなければ。だが、どうする。思い悩む間にも、空気は張り詰めていく。そして。
「…ん」
 四蔵兄が動いた。猫のように身を捩り、膝に頬ずりをする。甚六がごくりと唾を呑む。お前もか、と思わず頭を抱えそうになった、そのときだった。
「どうした」
 声が降った。目を上げると、一兄が一同を見下ろしていた。涼しげな細面をじっと見つめる。助けてくれ。そう念じながら。
 一兄は愁兄をそれとなく押しのけ、四蔵兄の前に膝をついた。そして手を伸ばし、剥き出しのうなじに触れた。
 四蔵兄の身体がびくりと震える。薄目を開けて一兄を仰ぎ、
「…つめたい」
 不満げな声で呟く。だが一兄は薄く笑み、
「お前が上せているんだ」
 そう言いながら首元をまさぐる。くすぐったいのか、四蔵兄の唇から「ふふっ」と怪しげな吐息が漏れる。一兄の笑みが深くなる。
 いやな予感がした。そして、それは当たった。
「冷やしてやろう」
 一兄が四蔵兄の脇に手を入れ、抱え上げようとする。全身の血の気が引いた。冷やすとは何だ。どこに連れて行くつもりだ。
 朱を帯びた肌を、白い手が滑る。そんな光景が頭を過ぎる。
 愁兄と風兄は揃って一兄を見上げ、何も言えないでいる。それはそうだ。一兄は長兄で、しかも一見正しい。だから止められない。
ー詰みだ。
 俯いて下唇を噛んだ。そのときだった。
「おい一兄。どこ行くんだ」
 意外な声にはっと顔を上げた。三助兄である。一兄の肩を掴み、顰め面を向けている。だが。
「さあ」
 一兄が微笑むや、押し黙ってしまった。この兄は勝ち気だが、妙なところで押しが弱い。だからまず言えない。「四蔵を手篭めにする気じゃねえだろうな」とは。
 だがそれでも、三助兄は時を稼いだ。
「一兄」
 腹を括ったらしい。愁兄が声を上げた。ついで風兄が四蔵兄を後ろから抱き締め、引き戻そうとする。これはこれでまずい。三つ巴になる。
 堪らず甚六を振り返った。だが無駄だった。どこから持ち出したのか、箸で湯呑を叩いている。「でけでん、でけでん」と楽しげに。どうやら戦の陣太鼓のつもりらしいが。
ー馬鹿。煽ってどうする!
 どつきたくなったが、そんな暇はない。
ーだめだ。俺しかいない。
 覚悟を決め、腰を上げた。そして兄達の間に割って入る、つもりだった。
 だが、思いのほか酔いが回っていたのか。一歩を踏み出すなり、ぐらりと身体が傾ぎ、そして兄達の間へ盛大に倒れ込んだ。
 受け身も取れず、こめかみを打った。痛みは感じなかったが、吐き気が込み上げた。起きなければと思うが、腕に力が入らない。
 首を捻って上を向くと、一つの顔が目に入った。
 潤んだ瞳。上気した頬。
「しちや、だいじょうぶか」
 舌足らずな調子で問う。四蔵兄である。「しちや」と甘ったるい声で繰り返す兄を前に、喚きたくなった。
ーあんたのせいで、大丈夫じゃなくなってんだ。
 むろん声は出ない。兄が手を伸べ、頬に触れる。その手があまりに温かくて、なぜだか鼻の奥がつんとした。
 視界が狭まり、気が遠くなる。縋るように兄の手を掴んだ。そしてそのまま、意識は闇に沈んだ。
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