2026/06/01 Mon 烏丸七弥の憂鬱(3)完 #小説 「何も、覚えていないらしい」 義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。 これにて完結。 続きを読む・ 秋の空は高い。 雲一つない真っ青な空に、赤く色づいた葉が風で舞い上がる。 太陽は南中を過ぎた辺りか。つられて首を反らすと、頭がぐらりと揺れた。ついでずきりと痛む。これが二日酔いか。頭だけではない。胸がむかつき、身体が重い。そしてそれ以上に。 ぱん、と小気味よい音がして我に返る。隣で甚六が手拭いを広げたのだ。自分と甚六の二人が、今日の洗濯の当番だ。 冷たい滴が頬に当たり、少し酔いが醒めた気になる。だがやはり重い。身体もだが、気の方が重い。 何も話す気になれず、黙々と手を動かす。甚六も同じだ。並んで手拭いを竿に掛けながら、今朝のことを思い出す。 ・ 目が覚めると、天井が見えた。寝所の、自分の布団の上だ。そう気づくと同時に、頭がずきりと痛んだ。徐々に思い出す。そうだ。自分は庭で倒れてー。 はっと息を呑み、辺りを見回した。自らの布団で眠る兄弟の姿が見える。愁兄、三助兄、風兄、甚六、彩八ーいない。 一兄と四蔵兄の布団が、空だった。 「おい」 居ても立ってもいられず、隣の甚六の肩を掴んだ。激しく揺すると「…んだよ…」と呻き、瞼を持ち上げようとする。開くのを待ち切れず、問うた。 「一兄と四蔵兄はどこだ」 甚六は寝ぼけ眼で辺りを見やりー後は自分と同じだった。空の布団を見つけ、はっと息を呑んで俯く。見てはならないものを見てしまったように。 やがて消え入りそうな声で、 「小屋、だと思う」 甚六いわく。 自分が兄達の間に盛大に倒れ込んだ、あの後。 宴は混乱を極めた。というのも彩八が目を覚まし、庭に出て来たのである。七人の兄達。空の竹筒と湯呑。嗅いだことのない甘い香り。 「なんで私だけ仲間はずれなの!」 彩八は怒り、泣き喚いた。兄達は皆で妹を宥め、かくして宴は終わった、らしい。 「正直、覚えてねえんだよ」 だから一兄と四蔵兄がどこに行ったかも、判んねえ。 言って甚六は肩を落とした。甚六は悪くない。真っ先に気を失ったのは他でもない自分だ。だが。 「判らないで済むか」 吐き捨て、腰を浮かしていた。二人を捜さなければ。駆け出そうとしたところで、腕を引かれた。見れば甚六が手首を掴んでいる。 「離せ」 振り払おうともがくが、甚六は離さない。どころか足を払い、自分を布団に押し倒し、 「馬鹿、落ち着け」 口調は荒い。だが顔は困り果て、縋るように見えた。甚六の瞳に自分の顔が映る。甚六と同じ、いやもっとひどい。今にも泣き出しそうだ。 身体から力が抜けた。それを感じ取ったのか、甚六が退く。身を起こし、息を吐き、そして考えた。 一兄は長兄だ。だが昨日は酔っていた。しかも四蔵兄はあの通り。触れたい、暴きたい、と魔が差しても仕方ない、かもしれない。 暗い小屋。一つの布団。絡み合う吐息と身体。 在りし日の光景が蘇り、息が詰まる。いや、あのときは風兄がー。 額を押さえた。頭が熱い。とりあえず、冷ましたい。 改めて立ち上がる。再び慌てる甚六に「顔を洗いに行くだけだ」と言い、障子を開ける。朝日がやけに眩しい。 覚束ない足取りで廊下を歩き、角を曲がった。そのときだった。庭の中に二つの人影を見つけた。 一兄と、四蔵兄だ。 思わず足を止めた。一兄は、北辰で視えていたのか。こちらの姿に驚いた様子もなく、微笑を浮かべ「大丈夫か」と問うた。 四蔵兄は黙っていた。顔が紙のように白い。二日酔いがひどいのか、と思っていると、案の定、口元を押さえて小走りで茂みに向かった。 その背を見送りながら、一兄が呟いた。 「何も、覚えていないらしい」 ーだから、何があったんだ。 そんなことは、聞けるわけもなかった。 ・ 洗濯物を干し終え、改めて空を仰いだ。 風に乗り、土間の方から良い香りが流れてくる。一兄と三助兄が昼飯の支度をしているのだ。家の裏手の方から、かん、かん、と音がする。愁兄と風兄が薪を割っているのだ。 その合間に甲高い声。彩八だろう。四蔵兄と二人、畑の手入れをしているはずだ。 朝からこの方、兄達はいつも通りだった。皆、多少具合は悪そうだが、愁兄は明るく、風兄は穏やかで、三助兄は少し捻くれている。 四蔵兄も相変わらず、無表情で無口だ。緩み切った顔も、甘ったるい声も、全て夢だったのではと思うほどに。 ーそうだ、夢だったのだ。 そういうことに、してしまえばいい。 だが。 唾を飲む。口の中に残る、微かな甘み。何故だろう。甘いのだが、とても苦く感じる。甘く苦い溜め息を吐きながら思う。 ーもう二度と、兄弟で酒は飲むまい。 だが。 脇の甚六を見やった。きっとこいつは、また何か拾ってくる。そんな気がした。 (「烏丸七弥の憂鬱」おしまい) 畳む
「何も、覚えていないらしい」
義兄弟男七人が繰り広げる、宴の一夜のドタバタコメディです(多分)。
これにて完結。
・
秋の空は高い。
雲一つない真っ青な空に、赤く色づいた葉が風で舞い上がる。
太陽は南中を過ぎた辺りか。つられて首を反らすと、頭がぐらりと揺れた。ついでずきりと痛む。これが二日酔いか。頭だけではない。胸がむかつき、身体が重い。そしてそれ以上に。
ぱん、と小気味よい音がして我に返る。隣で甚六が手拭いを広げたのだ。自分と甚六の二人が、今日の洗濯の当番だ。
冷たい滴が頬に当たり、少し酔いが醒めた気になる。だがやはり重い。身体もだが、気の方が重い。
何も話す気になれず、黙々と手を動かす。甚六も同じだ。並んで手拭いを竿に掛けながら、今朝のことを思い出す。
・
目が覚めると、天井が見えた。寝所の、自分の布団の上だ。そう気づくと同時に、頭がずきりと痛んだ。徐々に思い出す。そうだ。自分は庭で倒れてー。
はっと息を呑み、辺りを見回した。自らの布団で眠る兄弟の姿が見える。愁兄、三助兄、風兄、甚六、彩八ーいない。
一兄と四蔵兄の布団が、空だった。
「おい」
居ても立ってもいられず、隣の甚六の肩を掴んだ。激しく揺すると「…んだよ…」と呻き、瞼を持ち上げようとする。開くのを待ち切れず、問うた。
「一兄と四蔵兄はどこだ」
甚六は寝ぼけ眼で辺りを見やりー後は自分と同じだった。空の布団を見つけ、はっと息を呑んで俯く。見てはならないものを見てしまったように。
やがて消え入りそうな声で、
「小屋、だと思う」
甚六いわく。
自分が兄達の間に盛大に倒れ込んだ、あの後。
宴は混乱を極めた。というのも彩八が目を覚まし、庭に出て来たのである。七人の兄達。空の竹筒と湯呑。嗅いだことのない甘い香り。
「なんで私だけ仲間はずれなの!」
彩八は怒り、泣き喚いた。兄達は皆で妹を宥め、かくして宴は終わった、らしい。
「正直、覚えてねえんだよ」
だから一兄と四蔵兄がどこに行ったかも、判んねえ。
言って甚六は肩を落とした。甚六は悪くない。真っ先に気を失ったのは他でもない自分だ。だが。
「判らないで済むか」
吐き捨て、腰を浮かしていた。二人を捜さなければ。駆け出そうとしたところで、腕を引かれた。見れば甚六が手首を掴んでいる。
「離せ」
振り払おうともがくが、甚六は離さない。どころか足を払い、自分を布団に押し倒し、
「馬鹿、落ち着け」
口調は荒い。だが顔は困り果て、縋るように見えた。甚六の瞳に自分の顔が映る。甚六と同じ、いやもっとひどい。今にも泣き出しそうだ。
身体から力が抜けた。それを感じ取ったのか、甚六が退く。身を起こし、息を吐き、そして考えた。
一兄は長兄だ。だが昨日は酔っていた。しかも四蔵兄はあの通り。触れたい、暴きたい、と魔が差しても仕方ない、かもしれない。
暗い小屋。一つの布団。絡み合う吐息と身体。
在りし日の光景が蘇り、息が詰まる。いや、あのときは風兄がー。
額を押さえた。頭が熱い。とりあえず、冷ましたい。
改めて立ち上がる。再び慌てる甚六に「顔を洗いに行くだけだ」と言い、障子を開ける。朝日がやけに眩しい。
覚束ない足取りで廊下を歩き、角を曲がった。そのときだった。庭の中に二つの人影を見つけた。
一兄と、四蔵兄だ。
思わず足を止めた。一兄は、北辰で視えていたのか。こちらの姿に驚いた様子もなく、微笑を浮かべ「大丈夫か」と問うた。
四蔵兄は黙っていた。顔が紙のように白い。二日酔いがひどいのか、と思っていると、案の定、口元を押さえて小走りで茂みに向かった。
その背を見送りながら、一兄が呟いた。
「何も、覚えていないらしい」
ーだから、何があったんだ。
そんなことは、聞けるわけもなかった。
・
洗濯物を干し終え、改めて空を仰いだ。
風に乗り、土間の方から良い香りが流れてくる。一兄と三助兄が昼飯の支度をしているのだ。家の裏手の方から、かん、かん、と音がする。愁兄と風兄が薪を割っているのだ。
その合間に甲高い声。彩八だろう。四蔵兄と二人、畑の手入れをしているはずだ。
朝からこの方、兄達はいつも通りだった。皆、多少具合は悪そうだが、愁兄は明るく、風兄は穏やかで、三助兄は少し捻くれている。
四蔵兄も相変わらず、無表情で無口だ。緩み切った顔も、甘ったるい声も、全て夢だったのではと思うほどに。
ーそうだ、夢だったのだ。
そういうことに、してしまえばいい。
だが。
唾を飲む。口の中に残る、微かな甘み。何故だろう。甘いのだが、とても苦く感じる。甘く苦い溜め息を吐きながら思う。
ーもう二度と、兄弟で酒は飲むまい。
だが。
脇の甚六を見やった。きっとこいつは、また何か拾ってくる。そんな気がした。
(「烏丸七弥の憂鬱」おしまい)
畳む