まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

一夜花(7) #小説

「三助兄、行こう」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。


 抱き締め合って、眠りに落ちた。
 翌朝、目を覚ますと、兄はまだ寝入っていた。薄明かりの中、顔がよく見えた。濃い隈、こけた頬。だが昨晩より随分、穏やかに見えた。
 薄く開いた唇から吐息が漏れる。身を寄せ、首元に額を埋めると、鼓動が聞こえた。
ー生きている。
 視界が滲む。あれだけ泣いたのに、と苦笑が込み上げる。瞼を下ろして涙を閉じ込め、思う。
ー俺は、この人と殺し合ったりしない。
 兄弟を殺す気も、自分で死ぬ気もない。おそらくそうはならない。予感があった。
 腕の中の身体が震え、我に返る。瞼を開け、少し顔を上げる。目が合った。気の抜け切った、寝ぼけ眼だ。
「しち、や?」
 掠れ声で兄が呟く。しばしぼんやりとしていたが、状況を思い出したらしい。顰め顔で腕を解き、髪を掻き毟って「あー」「くそ」と呻く。だがやがて立ち上がり、
「死ぬんじゃねえぞ」
 とだけ言い残し、森の中に消えた。


 予感は当たった。継承戦は始まらなかった。
「七弥!いるか!」
 兄と別れて半刻ほど経った頃、甚六が呼んだ。声が上ずっている。身構えながら出て行くと、顔を合わせるなり甚六は言った。
「愁兄が逃げた。とにかく来い」
 噓ではない、と目を見て悟った。それは微かに潤んでいた。
ーそうか。
 驚いたが、腑に落ちた。八人のうち一人でも欠ければ、継承戦は始まらない。だから兄は自ら欠けた。兄弟ではなく、幻刀斎と、京八流に抗う。そう決めたのだ。
 愁兄らしい。情け深く脆いように見えて、芯は硬い。
 だが逃げ切れるのか。幻刀斎が兄を殺せば継承戦は始まる。始まらなくとも、兄弟は元どおりにはならない。やむなしとはいえ、一度は殺し合う腹を括った。すんなり解けるわけもなく、蟠りは残る。
 案の定、集まった兄弟達は困惑していた。甚六が「山を降りよう」と口火を切ると「無理だ」「幻刀斎に殺される」と諦める、さらに「技として生きる」と諭す声が上がった。だが、
「決めつけるな!」
 一喝が、空気を変えた。
「離れ離れになっても、皆に生きていて欲しい」
 甚六が震える声で続けると、皆が押し黙った。やがて一兄が長い息を吐き「そうだな」と頷いた。弾かれたように、それに倣った。
ー死ぬんじゃねえぞ。
 三助兄は言った。ならば生きるしかないー生きたい。
 頭を上げ、三助兄を見やる。頷いてくれ、と願いながら。だが目線は届かずに止まった。四蔵兄の元で。
 四蔵兄は、人形のようだった。まるで表情がなく、目はどこまでも昏い。風兄が消えたときと同じ、いや、それ以上に人形だった。
 だが、人形は動いた。頭をこくりと下げ、頷く。その姿に、全身が粟立った。一瞬、首が落ちたかと思ったのだ。
「ああくそ!」
 荒い声に我に返った。三助兄だ。項を掻き毟り、舌を鳴らす。その横で風兄が背を丸め、項垂れる。彩八は泣いていた。だが結局は三人とも、降りることを決めた。
 一人ずつ発った。甚六に同意を示した順に、先ず一兄が。その姿が見えなくなって、自分が続いた。
 家を離れ、森に入る。木漏れ日が踊り、鳥が歌う。いつもと変わらない穏やかな景色が、ひどくもの悲しく見える。
 半里ほど進み、足を止めた。手近な茂みに入り、身を隠し、息を殺す。耳を澄ます。足音を拾うためだ。次に来る、四蔵兄の足音を。
 待ってどうする。姿を見せるかも、声をかけるかも決めていない。だが。
 目を閉じる。自分に続いて頷いた兄。白いうなじは、今にも折れてしまいそうだった。
ーどうしても、放ってはおけない。
 兄は別の道を行くのかもしれない。会えないかもしれない。いや、この道を通る。そんな予感があった。
 やがて足音がした。ごく軽く、小さな足音。目を凝らすと、木々の間に四蔵兄を見つけた。歩いている。いつもと同じだ。歩調に乱れはない。
 だが何か違う。「歩いている」のではなく「流れている」。川面に浮かぶ花弁のように。どこに行き着くのか。あるいは、行き着かずに沈むのか。
 兄が近づく。自分に気づいた様子はない。三間まで近づき、顔が見えた。美しかった。とても美しい、人形だった。
 気づけば腰が浮いていた。かさりという音に、兄が振り返る。自分を見ているようで、見ていない。足元の草花と同じだ。
ーやっぱり、俺はそうなんだよな。
 伸ばしかけていた手を、拳を握って堪える。どれだけ伸ばしても届かない。それはもう判った。だから、せめて言いたい。
「ごめんな」
 いつも、いつも、いつも。
 俺は心配するだけで。勝手に慕って、煩うだけで。
 あんたはそんなこと、ひとつも望んじゃいなかったのに。
「ごめんな」
 繰り返す。兄は何も答えない。だがほんの一瞬、瞳が揺れた気がした。
 それだけで、兄は踵を返し、歩み始めた。拳に力を込める。伸ばしてはならない。あの花弁を掬うのは、あるいは共に流れ下るのは、自分ではないのだから。
 熱いものが込み上げ、下唇を噛んだ。嗚咽は漏らせない。きっとあの兄に聞かれてしまう。
 振り返り、目を凝らす。足音に先んじて姿が見えた。四蔵兄と同じ道を歩いてくる。足取りは忙しなく落ち着かない。とんぼのようだ。
 ふいに思い出す。夕焼けに照らされた、甚六の顔だ。「見てろよ」と言い、無造作に人差し指を立てる。まもなく一羽のとんぼが降り立つ。目を丸くした自分に「うまいだろ」と笑うー。
 その顔に、問いたかった。
ーなあ、甚六。
ー俺は、これでいいのかな。
 判らない。多分、これからもずっと。
 自分に気づいたのだろう。十間ほどを隔て、三助兄が立ち止まり、問うた。
「何のつもりだ」
 何のつもりかは、判らない。
 だが身体は動いた。兄に歩み寄る。兄が半歩足を引く。全身が強ばり、身構えているのが判る。
 構わずに近づくと、よく見えた。掻き毟った髪が。血の滲んだ唇が。先程のものとは別の熱が込み上げ、口を突いて出そうになった。「もう良いのだ」と。
 正面に立ち、兄の手を取る。汗ばんだそれは少し冷たかった。温めるように握る。兄が握り返す。それが全てだった。
「三助兄」
 呼び、告げる。
「行こう」
「ああ」
 足に力を込めた。気を抜けば寄り掛かってしまう。だがそうしたくはなかった。
 互いに寄り掛かるのではなく、寄り添って共に行く。自分はそういう人を、道を、選んだのだから。
 だが。
ーいいのかな。
 自分は。
 そして、三助兄は。
 問いを呑み込む。握り合う手に、力を込めながら。畳む