2026/05/01 Fri 一夜花(6) #小説 「お前が死ぬなんて、絶対に許さねえからな!」 蠱毒前の四蔵と七弥の話です。 続きを読む・ ーもう死んでいるみたいだ。 水面に映る顔は、まるで死人だった。 明日、継承戦が始まる。師いわく「兄弟を殺して全ての奥義を集めた者が、京八流の継承者となる」。 到底、受け入れられなかった。それは皆同じだった。つい先ほど、一兄は皆を集めて呼びかけた。「愚かなことはやめないか」「兄弟が力を合わせれば乗り越えられる」と。だが結局「幻刀斎には敵わない」「だから兄弟で殺し合う」と落ち着いた。 落胆は小さかった。もう殺し合いを半ば受け入れている。そんな自分に、薄ら寒さを覚えた。 一人で森に戻り、座り込んで目を閉じた。この二日、ずっとそうしていた。飲まず食わずで、夢と現の間を漂う。だがついにというか、喉の渇きを覚えた。 家に行く気になれず、川に向かった。今宵は晴天だ。空と川面に半月が浮かぶ。河原に座り込むと、水面に自分の顔が映った。ひどい顔だった。 ーもう死んでいるみたいだ。 呟きが漏れた。 「どうせ死ぬんだ」 自分は死ぬ。兄達には敵わない。 廉貞を使えば互角、それ以上に戦える。だがいっときだ。廉貞は長くない。そして「使い過ぎれば身体中の骨が砕けて死ぬ」らしい。その前に兄達を倒せるか。無理だ。 「弟、だものなあ」 彩八がいるが、弟では一番下だ。体力や腕力、知識や経験。あらゆる面で兄達に劣る。戦わずして負けている。そこまで考え、ふと思った。 誰が勝ち、生き残るのか。 真っ先に思い浮かんだのは、兄弟で一番大きな背中。風兄だった。 巨躯に剛腕。さらに巨門持ちだ。継承戦はきっと乱戦になる。なれば巨門は有利だ。師が兄弟の皆を相手取るときは、巨門で堪えながら一人ずつ倒していく。 何より、気性だ。情けないほど穏やかに見えて、実は誰より激しい。 ーどうして四蔵を一人にした! 二年前の怒号を思い出す。あのとき風兄は愁兄を罵り、殴った。手加減は一切なかった。止めなければ殴り殺していた。そんな気さえする。 だが風兄は、四蔵兄も殺せるのだろうか。 小屋での二人を思い出す。折り重なる身体。溶け合う呼吸。あんなにも深く交わった相手を殺せるのか。否、だからこそ殺すのか。他人に殺されるよりは、と。 四蔵兄は抗わないだろう。いっそ進んで殺されるのではないか。「覚悟を決めよう」と呼びかけた顔は、誰一人殺さずに死ぬ覚悟を決めたように見えた。 そこまで考え、全身が震えた。 こわい。いやだ。殺すのも殺されるのも。こんなことを考えるのもいやだ。 いやだ、いやだ、いやだ。 「…死のう」 そうだ、死のう。継承戦などくそくらえだ。絶対に乗らない。殺しも殺されもせず降りる。それが最善手だ。 腰に手を伸ばす。剣を抜き、目の前に掲げる。冴えた刀身に顔が映る。自分と、それからー。 全身が粟立った。振り返るより早く、右の肩と手首を掴まれた。捻られて剣を落とすと、肩を押されてうつ伏せにされた。 身を捩って上を向くが、相手は自分に馬乗りになり、胸ぐらを掴み上げた。 顔が近づく。随分と頬がこけたが、他の誰でもない。 「さん、す…け、にい…」 血走った目に悟った。殺しに来たのだ。負けん気は強いが打たれ弱い。恐怖に駆られ、先走ってもおかしくはない。いや、それなら背後から一突きで仕留めたはずだ。 「何を、するんだ」 「それはこっちの台詞だ」 恐ろしく低い声で、兄は吐き捨てた。声に怒気が籠っている。だが何に怒るのか。自分が何かしたか。死のうとしたことか。生きて兄弟と殺し合えと、そういうことか。 腹の底に、怒りが湧いた。 「…ふざけるなよ」 吐き捨てた。こんな口を利いたのは初めてだ。いつもは食って掛かる甚六を止める方だった。それももう、二度とない。 悲しかった。悔しかった。奥歯を噛み締め、兄を睨む。だが兄は怯まず、真っ向から見返して言った。 「お前はおかしい」 何がおかしい。おかしいのは師匠だ、継承戦だ、京八流だ。 喚きたかった。だが喚いて何になる。代わりに溜め息と、笑みが漏れた。 「どうせ、俺は死ぬよ。兄さん達に敵うはずがない」 「だったら先に死ぬ。殺されるのはいやだ。だからー」 死ぬんだ。そう言おうとした、そのときだった。 「だめだ!」 一瞬、音が消えた。それほどの大声だった。水面が震え、鳥が羽ばたく。その羽音が消える前に、兄はまた吠えた。 「お前はおかしい、おかしいんだよ!」 どっちが、と口を挟む隙はなかった。 「どうして、どうしてこんなことになる」 死ねるかよ、殺せるかよ。兄弟だ、ずっと傍にいたんだ。何が京八流だ、何が継承戦だ。ふざけんな、絶対生き残ってやる。死にたくねえよ。殺したくねえよ。それくらいなら死にてえよ。でもだめだ。それはだめだ。 「だから許さねえ。お前が死ぬなんて、絶対に許さねえからな!」 兄は喚いた。支離滅裂だ。だが判る。痛いほどに。 生きたい。だが殺すのはいやだ。それよりは死にたい。だが死に切れない。生きたい。これは兄の本音だ。そして、自分の言えなかった本音だ。 ーまぶしい。 場違いに頬が弛んだ。全力で理不尽に憤り、死を恐れ、生を願い、兄弟を想う。そんな兄の姿が。 「死ぬなんて、言うなよ」 力尽きたのか。兄は頭を垂れ、拳に額を落とした。胸に湿りを感じる。兄の涙だ。冷たくはない。温かい。 ー生きている。 自分も兄も、生きている。 腕を伸ばし、兄の頭を抱いた。瞼の裏に風兄と四蔵兄の姿が過ぎる。 ああはなれない。命は差し出せない。だが、寄り添いたい。全てを以て、寄り添いたい。そして、寄り添って欲しい。 背に兄の腕を感じた。身体が重なる。温もりが混じり合い、境を見失う。どこまでが自分で、どこからが兄なのか。救っているのか、救われているのか。畳む
「お前が死ぬなんて、絶対に許さねえからな!」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。
・
ーもう死んでいるみたいだ。
水面に映る顔は、まるで死人だった。
明日、継承戦が始まる。師いわく「兄弟を殺して全ての奥義を集めた者が、京八流の継承者となる」。
到底、受け入れられなかった。それは皆同じだった。つい先ほど、一兄は皆を集めて呼びかけた。「愚かなことはやめないか」「兄弟が力を合わせれば乗り越えられる」と。だが結局「幻刀斎には敵わない」「だから兄弟で殺し合う」と落ち着いた。
落胆は小さかった。もう殺し合いを半ば受け入れている。そんな自分に、薄ら寒さを覚えた。
一人で森に戻り、座り込んで目を閉じた。この二日、ずっとそうしていた。飲まず食わずで、夢と現の間を漂う。だがついにというか、喉の渇きを覚えた。
家に行く気になれず、川に向かった。今宵は晴天だ。空と川面に半月が浮かぶ。河原に座り込むと、水面に自分の顔が映った。ひどい顔だった。
ーもう死んでいるみたいだ。
呟きが漏れた。
「どうせ死ぬんだ」
自分は死ぬ。兄達には敵わない。
廉貞を使えば互角、それ以上に戦える。だがいっときだ。廉貞は長くない。そして「使い過ぎれば身体中の骨が砕けて死ぬ」らしい。その前に兄達を倒せるか。無理だ。
「弟、だものなあ」
彩八がいるが、弟では一番下だ。体力や腕力、知識や経験。あらゆる面で兄達に劣る。戦わずして負けている。そこまで考え、ふと思った。
誰が勝ち、生き残るのか。
真っ先に思い浮かんだのは、兄弟で一番大きな背中。風兄だった。
巨躯に剛腕。さらに巨門持ちだ。継承戦はきっと乱戦になる。なれば巨門は有利だ。師が兄弟の皆を相手取るときは、巨門で堪えながら一人ずつ倒していく。
何より、気性だ。情けないほど穏やかに見えて、実は誰より激しい。
ーどうして四蔵を一人にした!
二年前の怒号を思い出す。あのとき風兄は愁兄を罵り、殴った。手加減は一切なかった。止めなければ殴り殺していた。そんな気さえする。
だが風兄は、四蔵兄も殺せるのだろうか。
小屋での二人を思い出す。折り重なる身体。溶け合う呼吸。あんなにも深く交わった相手を殺せるのか。否、だからこそ殺すのか。他人に殺されるよりは、と。
四蔵兄は抗わないだろう。いっそ進んで殺されるのではないか。「覚悟を決めよう」と呼びかけた顔は、誰一人殺さずに死ぬ覚悟を決めたように見えた。
そこまで考え、全身が震えた。
こわい。いやだ。殺すのも殺されるのも。こんなことを考えるのもいやだ。
いやだ、いやだ、いやだ。
「…死のう」
そうだ、死のう。継承戦などくそくらえだ。絶対に乗らない。殺しも殺されもせず降りる。それが最善手だ。
腰に手を伸ばす。剣を抜き、目の前に掲げる。冴えた刀身に顔が映る。自分と、それからー。
全身が粟立った。振り返るより早く、右の肩と手首を掴まれた。捻られて剣を落とすと、肩を押されてうつ伏せにされた。
身を捩って上を向くが、相手は自分に馬乗りになり、胸ぐらを掴み上げた。
顔が近づく。随分と頬がこけたが、他の誰でもない。
「さん、す…け、にい…」
血走った目に悟った。殺しに来たのだ。負けん気は強いが打たれ弱い。恐怖に駆られ、先走ってもおかしくはない。いや、それなら背後から一突きで仕留めたはずだ。
「何を、するんだ」
「それはこっちの台詞だ」
恐ろしく低い声で、兄は吐き捨てた。声に怒気が籠っている。だが何に怒るのか。自分が何かしたか。死のうとしたことか。生きて兄弟と殺し合えと、そういうことか。
腹の底に、怒りが湧いた。
「…ふざけるなよ」
吐き捨てた。こんな口を利いたのは初めてだ。いつもは食って掛かる甚六を止める方だった。それももう、二度とない。
悲しかった。悔しかった。奥歯を噛み締め、兄を睨む。だが兄は怯まず、真っ向から見返して言った。
「お前はおかしい」
何がおかしい。おかしいのは師匠だ、継承戦だ、京八流だ。
喚きたかった。だが喚いて何になる。代わりに溜め息と、笑みが漏れた。
「どうせ、俺は死ぬよ。兄さん達に敵うはずがない」
「だったら先に死ぬ。殺されるのはいやだ。だからー」
死ぬんだ。そう言おうとした、そのときだった。
「だめだ!」
一瞬、音が消えた。それほどの大声だった。水面が震え、鳥が羽ばたく。その羽音が消える前に、兄はまた吠えた。
「お前はおかしい、おかしいんだよ!」
どっちが、と口を挟む隙はなかった。
「どうして、どうしてこんなことになる」
死ねるかよ、殺せるかよ。兄弟だ、ずっと傍にいたんだ。何が京八流だ、何が継承戦だ。ふざけんな、絶対生き残ってやる。死にたくねえよ。殺したくねえよ。それくらいなら死にてえよ。でもだめだ。それはだめだ。
「だから許さねえ。お前が死ぬなんて、絶対に許さねえからな!」
兄は喚いた。支離滅裂だ。だが判る。痛いほどに。
生きたい。だが殺すのはいやだ。それよりは死にたい。だが死に切れない。生きたい。これは兄の本音だ。そして、自分の言えなかった本音だ。
ーまぶしい。
場違いに頬が弛んだ。全力で理不尽に憤り、死を恐れ、生を願い、兄弟を想う。そんな兄の姿が。
「死ぬなんて、言うなよ」
力尽きたのか。兄は頭を垂れ、拳に額を落とした。胸に湿りを感じる。兄の涙だ。冷たくはない。温かい。
ー生きている。
自分も兄も、生きている。
腕を伸ばし、兄の頭を抱いた。瞼の裏に風兄と四蔵兄の姿が過ぎる。
ああはなれない。命は差し出せない。だが、寄り添いたい。全てを以て、寄り添いたい。そして、寄り添って欲しい。
背に兄の腕を感じた。身体が重なる。温もりが混じり合い、境を見失う。どこまでが自分で、どこからが兄なのか。救っているのか、救われているのか。畳む