まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

化野四蔵の懊悩(終) #小説

「金輪際、酒は飲むまい」
酒の席での失態を知り、ひたすら懊悩する四蔵の話です。
全4話完結。



ー四蔵兄に、風兄を避けるなと言って欲しいんだ。
 そう七弥に言われた日の、夕方のことだった。自分と四蔵は火の番に当たり、風呂を沸かしていた。
 裏手に薪を運ぶと、四蔵は釜の前にしゃがみ、その中を覗いていた。足音に気づき、僅かに顔を上げて頷く。薪は足りている、という意味らしい。
 膝に被せられた手にふと目が止まる。火傷の跡がまだ赤い。
ー四蔵が大根を油に放り込んだ。
 そう三助が顔を顰めていたのを思い出す。らしくない、のはこの件だけではない。
「包帯、巻いてやろうか」
「大したことはない」
 手を指しながら言うと、弟は首を振り、それとなく袖の中に隠した。だが、傷はそれだけではない。改めて全身を見やる。額や頬、裾から出た足にも、切り傷や掠り傷が見て取れる。
 兄弟の中で一番怪我が多いのが甚六、少ないのが四蔵だった。この弟は常に冷静で慎重だからだ、と思っていた。だが、違ったのだ。
ーあいつがいるからだ。
 常に風五郎が傍にいて、傷の手当をしていた。いや傷をつけぬよう、先回りして動いていた。それがなくなってしまえば、この有り様だ。
ー四蔵兄に、風兄を避けるなと言って欲しいんだ。
 七弥の台詞が頭を過ぎる。あいつは正しい。
ーやはり、俺では駄目らしい。少なくとも、今は未だ。
 一つ息を吐き、何気ない口調を装って問う。
「どうして、風五郎を避けるんだ」
 四蔵が下唇を噛み、目を伏せる。青みを帯びた目に炎の赤が滲み、淡い紫に変わる。陽の沈む空のようだ。
「俺はあいつに甘えてばかりで」
「だから、自立しようと」
 薪の爆ぜる音の合間に、弟はそう言った。張り詰めた声に、表情に、なぜだか頬が緩んだ。
ーたった七日だぞ。
 たった七日離れていることが、そんなに大事(おおごと)なのか。大事なのだろう。四蔵にとっては。四蔵だけではない。
「それはあっちも同じだぞ」
「同じとは」
「あいつだってお前に甘えている」
 四蔵が大きく目を見開く。だがすぐ顔を顰め「何を言っているんだ」と問う。黙っておけばよかった、とつい思うが、今さらだ。
 弟の顔を見つめ、続ける。
「お前に避けられて、目に見えて沈んでいる」
 そこは気づいていたらしい。四蔵が口を噤む。だが首を振り「それでも、俺は」と食い下がる。続きはきっとこうだ。
ーそれでも俺は兄だ。俺が甘えるわけにはいかない。
 それくらいは自分にも判る。だから。
「弟を悲しませないのは、兄の大事な役目だと思うぞ」
 言って肩を叩くと、四蔵は俯き、じっと炎を見つめた。その瞳は心なしか、僅かに湿って見えた。


 宴の日から九日が過ぎた、昼下がりのことだった。
 修行を終え、庭で野良仕事をしていると、不意に背を突かれた。振り向くと、彩八だった。妹は爪先で立ち腕を引く。身を屈めてやると、耳に口を寄せて、
「良かったね」
 そう囁いた。彩八が笑みを浮かべ、庭の隅に目をやる。つられて見れば、四蔵と風五郎が切り株に並んで座り、あけびを齧っていた。
 山菜採りの帰りだろう。足元の籠に栗や茸が覗いている。けっこうな収穫だが、それはさておき。
「まあな」
 答えながら、今朝のことを思い出す。
 目覚めると、隣の布団が空だった。自分の隣は四蔵である。どこだ、と辺りを見回し、すぐに見つけた。四蔵は風五郎の布団の中で、抱えられて眠っていた。
 よくある光景だった。宴の前までは。つまり元通りになった、というわけだ。だが。
ーなんか、違うんだよな。
 風五郎には抱き癖がある。だから小柄な四蔵を枕と取り違え、抱き込んでしまう。ずっとそう思っていた。だが今朝は、違うように見えた。二人の寝顔があまりに穏やかだったからか。
 まあ、これもさておき。
 二人から視線を外し、家の方に向ける。
ーやはりな。
 予想はしていたが、つい眉を顰めた。
 甚六が軒先で一人、柿を吊るしている。手では柿を掴んでいるが、目は明らかに別の場所、土間に覗く七弥の姿を追っている。
 やはり七弥は知らん顔、のように見える。だが甚六が目を離した隙に、七弥もそれとなく甚六を見ている。傍で見ているから気づくことだ。甚六はまず気づくまい。
 七弥の目に険はない。四蔵と風五郎が元の鞘に収まり、怒りが引いたようだ。そしてやり過ぎたという負い目が出てきたのか、甚六を見る目は、ばつが悪そうだ。
ー本気で、面倒くせえなあ。
 甚六が詫びれば全て片がつく。だが当人はすっかり気後れし、近づくことも難しそうだ。
「しょうがねえか」
 一人ごち、腰を上げる。「え?」と首を傾げる彩八を置いて、大股で甚六に近づき「おい」と声を掛けた。七弥に感けて上の空だったのだろう、甚六は大げさに身を震わせ、
「なんだよ、三助兄」
 上ずった声で問う。何とも判りやすい。こいつに回りくどい言い方は通じない。よって言うべきは。
「七弥に詫びてこい」
「でも、あいつまだすげえ怒ってるし」
「逃げんな」
 間を置かず畳み掛けると、甚六は唇を噛んで俯いた。それでも「俺、嫌われたから」と消え入りそうな声で言う。つい溜め息が漏れた。こいつは怖いもの知らずに見えて、肝心なときに怖じ気づくー。
 いや、相手によるのか。七弥は四蔵に弱いようだが、この弟は七弥に弱いらしい。
「さっさと行け。いつもあいつに頼り切りだろ。こういうときくらいしっかりしろ」
 言って背を叩く。思いのほか勢いがついてしまい、弟がつんのめった。さらに「いって!」と声を上げたが、それで力が抜けたらしい。口角を上げて頷くと、七弥に向かって駆けていった。
 その背を見送っていると、不意に後ろから声がした。
「優しいな」
 声で判る。一兄だ。
 振り返ると、やはり兄が立っていた。だが何だ。このえらく嬉しげな顔は。
 目が合うと、兄はまして目尻を下げ、
「お前は優しいな。三助」
「そんなんじゃねえし」
 正面きって褒められるのは苦手だ。目を逸らし、明後日の方を見る。次に何を言われるか、と肝を冷やしていると、不意に声がした。
「一兄、これはどこにやればいいんだ」
 風五郎だった。山菜をどこに置くか、という意味らしい。
 一兄は此方の肩に手を置き、ぽんぽんと二度叩いた。そして「沢山採れたな」と弟達を労いながら、二人に向かって歩いていった。


ーやはり、落ち着く。
 あけびを齧りながら、つくづくと思う。
 風五郎の傍は落ち着く。肩が落ち、頬が緩む。判っていても止められない。兄としてどうか、とは未だに思う。だがー。
 隣の弟を盗み見る。昨日までとは明らかに違う。いかにも嬉しげな横顔に、これで良いのだ、と思うことにする。
 弟はあけびを腹に収めると、腰を上げ「一兄」と長兄を呼んだ。兄は三助兄と何やら話していたが、切り上げて近づいてきた。何故だろう。満面の笑みを浮かべ、ひどく嬉しげだ。理由は判らないが、機嫌が良いに越したことはない。
「これは今日の夕飯に。これは庭の小屋の方に」
 籠を覗き込み、兄が指示を出す。「判った」と答えると、兄は顔を上げ、にわかに目を眇めた。
「それはどうした」
 此方の首元を指して兄が問う。それで「ああ」と合点した。
「虫に食われたらしい」
 朝、顔を洗っていて気づいた。首筋に二つ、小さな赤い痣がある。虫刺されにしては痒くないが、他に心当たりもない。
「そうか」
 言いながら、兄は手を差し伸べた。長い指が痣を撫でる。ひんやりとした感触に、頭の片隅で弾けるものがあった。
ー甘い匂い。火照った身体。小屋の天井。
ー肌を滑る、冷えた感触。
 そういえば、宴の翌朝。自分は庭の小屋で寝ていた。どうやって宴を抜けて小屋に来たのかは覚えていない。だが夜の間中、これによく似た冷たいものが、額や首筋を這っていたようなー。
ーあの夜、何があった。
 口を押さえて俯いた。さもすると叫び出してしまいそうだった。
「四蔵兄、どうした」
 風五郎の声がする。だが遠い。全身ががたがたと震え、足から力が抜ける。その場にへたり込みながら、誓った。
ー金輪際、酒は飲むまい。


 三助兄に背中を押され、甚六が七弥に近づいていった。大丈夫かな、と思ったけれど、杞憂だった。
 七弥が振り向くなり、甚六は頭を下げた。七弥は四蔵兄みたいな顰め面をしていた。けれど顔を真っ赤にして、息も継がずに謝る甚六を前に、やがて根負けしたように笑みを零した。
 良かった、と思った。これで元通りだ。四蔵兄と風兄も、甚六と七弥も。
ーでも、本当に、そうなのかな。
 改めて、遠くの兄達を順に見た。やはり今までとは何か違う気がする。何が違うのかは判らない。けれど、判ることもある。
ー四蔵兄は風兄がいなくちゃだめ。風兄もそう。
ー愁兄は四蔵兄を見るとき、少しさびしそうな顔をする。
ー甚六は七弥を気にしている。でも七弥は気づいてない。
ー三助兄はやさしい。一兄は、よく判らない。
 きちんと見ておかなくちゃ、覚えておかなくちゃ、と思う。もしまた何か起きたら、今度こそ私達がちゃんとしなくちゃならない。
 ね?そうだよね、三助兄。

(化野四蔵の懊悩・おしまい)
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