2026/06/23 Tue 化野四蔵の懊悩(3) #小説 「風五郎に触れたい」 酒の席での失態を知り、ひたすら懊悩する四蔵の話です。 全4話予定(伸びました)。 続きを読む・ ー参った。 朝飯の刻(とき)。居間に集った兄弟の顔を見、そう内心でごちた。 きっかけは七日前の宴である。甚六が酒を持ち帰り、男七人で宴としゃれ込んだ。 甘い酒だった。その他の記憶は怪しい。四蔵が風五郎の膝枕で寝入り、愁兄と風五郎が睨み合い、一兄が妙なことを言い出し、七弥が転び、彩八が泣き喚きー。 とにかく「終わり良ければ」とはならなかった。というのは、現状から推して知るべしである。 兄弟の様子がおかしい。まずは四蔵だ。 どうも四蔵は膝枕に加え、相当に恥ずかしいことを口走ったらしい。幸い本人は忘れていた。だが傍で聞いていた甚六が、それを教えてしまった。 かくして四蔵は己の失態を知り、羞恥に悶えた挙げ句、兄弟、特に風五郎を避けるようになった。 だが、それが落ち着かないのか。刀は失くすわ、天ぷら油に大根を入れるわ。寝付きも悪いのか、隈もひどい。 ーてめえの失態なんざ、誰も気にしてねえよ。 そう言ってやろうと思ったが、四蔵のことだ。「やはり覚えているのか」と余計に落ち込みかねない。どうしたものか。 次に風五郎だ。 四蔵に避けられるようになり、明らかに気落ちしている。日ごとに目が濁り、今朝など死んだ魚そのものだ。この弟はやたらと四蔵の世話を焼きたがると思っていたが、焼かずにはおれない、ということか。 次に七弥だ。七弥もまた避けている。甚六だけを。名を呼ばれても振り向きもしない。顔も見たくない、声も聞きたくない、と言いたげだ。 どうも甚六が四蔵に事実を告げた件で、未だ腹立ちが収まらぬらしい。 にしても驚いた。五日前の暴れぶりを思い出す。あんな七弥は初めて見た。風五郎ほどではないが、この弟も四蔵に甘い。 そして甚六だ。此方も目が死んでいる。四蔵への負い目に加え、七弥との不和が堪えているようだ。自業自得だが、萎れた背を見るにつけ、少し気の毒にも思う。 四人がこんな具合なので、残り四人も落ち着かない。一兄は普段通りだが、心持ち表情が渋い。愁兄は目が泳ぎ、居心地が悪そうだ。 そして。 「三助兄」 飯を食い終え、膳を持って土間に向かおうとしたところで、くいと袖を引かれた。彩八である。 来るとは思っていた。飯の間も何か言いたげな目で此方を見ていた。気づいていて、目を逸らした。その「言いたい何か」は極めて厄介な代物だと勘づいたからだ。 案の定、妹は爪先立ちになり、耳に口を寄せて囁いた。 「やっぱり、私達が何とかしなくちゃ」 拗れた四人を元に戻さねば、という意味だろう。だが。 「何とかってどうするんだよ」 「だから、それを考えてよ」 当然でしょ、と言わんばかりに胸を張る。そんな妹を見下ろし、溜め息が漏れた。 面倒なことなった。だが、放っておけばさらに面倒になることは目に見えている。 ー参った。 本当に、どうしたものか。 ・ 何と言うか、もう無理だ。 朝飯の席。一汁一菜の載った膳を前に、内心で溜め息を吐いた。まるで食欲がない。椀どころか箸すら重い。さらに言えば瞼も。 昨晩は殆ど眠れなかった。寝所で布団に入り、一度は寝入った。だがいやな夢を見たらしく、夜半に跳ね起き、横になっても寝つけなかった。 やたらと気が立ち、落ち着かない。 ー風五郎に寄りたい。 そう思った。弟には抱き癖がある。寄れば自ずと懐に招き入れてくれる。そこは居心地がよく、何より安心できる。だが。 ー自分は弟に甘え過ぎだ。自立する。 そう決めた手前、そんな真似は出来ない。弟に背を向けて横たわり、きつく目を閉じた。案の定、一睡もできずに夜が明けた。 よってひどく眠い。さもすると舟を漕ぎそうになりながら、切実に思う。 ー風五郎に触れたい。 思わず頭を振った。何を考えているのか。 ふと視線を感じた。斜め右、愁兄が自分を見ている。 「四蔵、隈がひどいぞ」 それはそうだろう。だが認めたくはなかった。 「気のせいだろう」 椀を取り、味噌汁を口に含む。大分冷めている。あの懐の方がよほど、と思いかけ、また首を振った。 ・ 何というか、もう無理だ。 朝飯の席。一汁一菜の載った膳を前に、内心で溜め息を吐いた。眠い。只管に眠い。 昨晩は殆ど眠れなかった。やけに寒い夜だった。だがそう感じたのは自分だけのようで、風邪の引き始めかもしれない。 ともあれ、布団に包まっても寒く、寝つけなかった。隣を見やると、やはり七弥は背を向けて寝ていた。溜め息が漏れた。 寒ければ、七弥に巻きついて暖を取るのが常だった。すると弟は「またか」「重い」と文句は垂れるが、追い払われたことはない。 だが今は無理だ。髪一本にも触れられない。そうして一人、震えるうちに夜が明けた。 「甚六、隈がひどくない?」 斜め左から声がした。彩八である。 「まあ、色々と」 生返事をしながら、脇の七弥を盗み見る。何食わぬ顔で魚の身をほぐしている。 ー今日も無視か。 奥歯を噛む。こういうだんまりが一番きつい。いっそ気の済むまで殴るなり罵るなりして欲しいが、七弥は敢えてそうしない。生殺しだと恨めしさが募るが、裏を返せば七弥はそれほどまでに怒っている、ということだ。 確かに自分は愚かだった。三助兄が「本気で馬鹿」と言うとおり。当人に問い質されたとはいえ、余計なことを言い、兄を傷つけた。 だが、改めて考えてみれば。 ーなんでお前が、そんなに怒るんだ。 兄弟を傷つける奴は兄弟でも許さない、ということか。尤もだが、度が過ぎやしないか。七弥は怒り狂い、挙げ句に泣きじゃくった。あんな弟は初めて見た。 ー四蔵兄じゃなく、俺だったら、どうだったんだろうな。 ついそんなことを考え、首を振った。 ・ 全く、どうしたものか。 飯を終え、土間で茶碗を洗いながら、内心で溜め息を吐いた。 ー四蔵兄に、言ってくれないか。 さもすると、七弥の台詞が頭を過ぎる。 今朝、外で顔を洗っていた折のことだ。七弥がやってきた。何やら思い詰めた顔をしている。近ごろはずっとそうだ。口数が減り、表情も険しい。甚六の前では特に。つんとしていて、取り付く島がない。 七弥は「おはよう」と言い、隣にしゃがんで顔を洗った。そして手拭いに顔を埋めながら、呟くように言った。 「言って欲しいんだ」 「は?」 上手く聞き取れずに声を上げた。七弥は顔を上げ、此方の目をじっと見て、 「四蔵兄に、風兄を避けるなと言って欲しいんだ」 改めて言った。七弥が言うのは意外だったが、確かにそうだ。 この数日、四蔵は調子を崩している。理由は明らかで、風五郎を避けているからだ。 ならば四蔵を風五郎の傍に戻せばよい。だが仮に自分が「戻れ」と言ったとて、おいそれと戻るとは思えなかった。四蔵が自らの言行を恥じ、二度と繰り返すまい、と努めてやっていることだ。そこは汲んでやらねばならない。 加えて、本音を言ってしまえば。 ー戻って欲しくない。 日頃から感じていたが、あの二人は近い。四蔵は風五郎を頼りにしている。いっそ甘えている。しかも風五郎がそれを強く求め、仕向けている感がある。 あの二人は危うい。「少し離れろ」と言いかけて止したのも一度二度ではない。ならば、現状の方が好ましいのではないか。 そこまで考えて、いやと思い直した。これは理屈だ。自分の本心ではない。 ー俺は、甘えて欲しいのだ。 ー風五郎にではなく、俺に。 下唇を噛んだ。浅ましく、それ以上に悔しかった。知っているからだ。四蔵は甘えない。俺にも他の兄弟にも。あいつが甘えるのは、風五郎だけだ。 七弥も薄々気づいているのだろう。だから「戻るように言って欲しい」と言っている。それが悔しく、切なかった。 拗ねた心が、つい口を突いて出た。 「四蔵は頑固だからな。俺が言っても聞く耳を持つか」 言ってすぐ、しまったと思った。七弥の顔がくしゃりと歪む。奥歯を噛んだ。何をしている。自分は兄だ。弟達を守るのは、兄の大事な努めだ。 首を振り、七弥の肩を掴む。涙の滲む瞳を見つめ、そっと語りかけた。 「判った。言ってみる」 努めて笑みを浮かべると、瞳から一筋、涙が零れ落ちた。七弥が顔を伏せ、拳で目元を拭う。そして再び顔を上げると、 「ごめんな、愁兄」 と泣き笑いのような顔で言った。 畳む
「風五郎に触れたい」
酒の席での失態を知り、ひたすら懊悩する四蔵の話です。
全4話予定(伸びました)。
・
ー参った。
朝飯の刻(とき)。居間に集った兄弟の顔を見、そう内心でごちた。
きっかけは七日前の宴である。甚六が酒を持ち帰り、男七人で宴としゃれ込んだ。
甘い酒だった。その他の記憶は怪しい。四蔵が風五郎の膝枕で寝入り、愁兄と風五郎が睨み合い、一兄が妙なことを言い出し、七弥が転び、彩八が泣き喚きー。
とにかく「終わり良ければ」とはならなかった。というのは、現状から推して知るべしである。
兄弟の様子がおかしい。まずは四蔵だ。
どうも四蔵は膝枕に加え、相当に恥ずかしいことを口走ったらしい。幸い本人は忘れていた。だが傍で聞いていた甚六が、それを教えてしまった。
かくして四蔵は己の失態を知り、羞恥に悶えた挙げ句、兄弟、特に風五郎を避けるようになった。
だが、それが落ち着かないのか。刀は失くすわ、天ぷら油に大根を入れるわ。寝付きも悪いのか、隈もひどい。
ーてめえの失態なんざ、誰も気にしてねえよ。
そう言ってやろうと思ったが、四蔵のことだ。「やはり覚えているのか」と余計に落ち込みかねない。どうしたものか。
次に風五郎だ。
四蔵に避けられるようになり、明らかに気落ちしている。日ごとに目が濁り、今朝など死んだ魚そのものだ。この弟はやたらと四蔵の世話を焼きたがると思っていたが、焼かずにはおれない、ということか。
次に七弥だ。七弥もまた避けている。甚六だけを。名を呼ばれても振り向きもしない。顔も見たくない、声も聞きたくない、と言いたげだ。
どうも甚六が四蔵に事実を告げた件で、未だ腹立ちが収まらぬらしい。
にしても驚いた。五日前の暴れぶりを思い出す。あんな七弥は初めて見た。風五郎ほどではないが、この弟も四蔵に甘い。
そして甚六だ。此方も目が死んでいる。四蔵への負い目に加え、七弥との不和が堪えているようだ。自業自得だが、萎れた背を見るにつけ、少し気の毒にも思う。
四人がこんな具合なので、残り四人も落ち着かない。一兄は普段通りだが、心持ち表情が渋い。愁兄は目が泳ぎ、居心地が悪そうだ。
そして。
「三助兄」
飯を食い終え、膳を持って土間に向かおうとしたところで、くいと袖を引かれた。彩八である。
来るとは思っていた。飯の間も何か言いたげな目で此方を見ていた。気づいていて、目を逸らした。その「言いたい何か」は極めて厄介な代物だと勘づいたからだ。
案の定、妹は爪先立ちになり、耳に口を寄せて囁いた。
「やっぱり、私達が何とかしなくちゃ」
拗れた四人を元に戻さねば、という意味だろう。だが。
「何とかってどうするんだよ」
「だから、それを考えてよ」
当然でしょ、と言わんばかりに胸を張る。そんな妹を見下ろし、溜め息が漏れた。
面倒なことなった。だが、放っておけばさらに面倒になることは目に見えている。
ー参った。
本当に、どうしたものか。
・
何と言うか、もう無理だ。
朝飯の席。一汁一菜の載った膳を前に、内心で溜め息を吐いた。まるで食欲がない。椀どころか箸すら重い。さらに言えば瞼も。
昨晩は殆ど眠れなかった。寝所で布団に入り、一度は寝入った。だがいやな夢を見たらしく、夜半に跳ね起き、横になっても寝つけなかった。
やたらと気が立ち、落ち着かない。
ー風五郎に寄りたい。
そう思った。弟には抱き癖がある。寄れば自ずと懐に招き入れてくれる。そこは居心地がよく、何より安心できる。だが。
ー自分は弟に甘え過ぎだ。自立する。
そう決めた手前、そんな真似は出来ない。弟に背を向けて横たわり、きつく目を閉じた。案の定、一睡もできずに夜が明けた。
よってひどく眠い。さもすると舟を漕ぎそうになりながら、切実に思う。
ー風五郎に触れたい。
思わず頭を振った。何を考えているのか。
ふと視線を感じた。斜め右、愁兄が自分を見ている。
「四蔵、隈がひどいぞ」
それはそうだろう。だが認めたくはなかった。
「気のせいだろう」
椀を取り、味噌汁を口に含む。大分冷めている。あの懐の方がよほど、と思いかけ、また首を振った。
・
何というか、もう無理だ。
朝飯の席。一汁一菜の載った膳を前に、内心で溜め息を吐いた。眠い。只管に眠い。
昨晩は殆ど眠れなかった。やけに寒い夜だった。だがそう感じたのは自分だけのようで、風邪の引き始めかもしれない。
ともあれ、布団に包まっても寒く、寝つけなかった。隣を見やると、やはり七弥は背を向けて寝ていた。溜め息が漏れた。
寒ければ、七弥に巻きついて暖を取るのが常だった。すると弟は「またか」「重い」と文句は垂れるが、追い払われたことはない。
だが今は無理だ。髪一本にも触れられない。そうして一人、震えるうちに夜が明けた。
「甚六、隈がひどくない?」
斜め左から声がした。彩八である。
「まあ、色々と」
生返事をしながら、脇の七弥を盗み見る。何食わぬ顔で魚の身をほぐしている。
ー今日も無視か。
奥歯を噛む。こういうだんまりが一番きつい。いっそ気の済むまで殴るなり罵るなりして欲しいが、七弥は敢えてそうしない。生殺しだと恨めしさが募るが、裏を返せば七弥はそれほどまでに怒っている、ということだ。
確かに自分は愚かだった。三助兄が「本気で馬鹿」と言うとおり。当人に問い質されたとはいえ、余計なことを言い、兄を傷つけた。
だが、改めて考えてみれば。
ーなんでお前が、そんなに怒るんだ。
兄弟を傷つける奴は兄弟でも許さない、ということか。尤もだが、度が過ぎやしないか。七弥は怒り狂い、挙げ句に泣きじゃくった。あんな弟は初めて見た。
ー四蔵兄じゃなく、俺だったら、どうだったんだろうな。
ついそんなことを考え、首を振った。
・
全く、どうしたものか。
飯を終え、土間で茶碗を洗いながら、内心で溜め息を吐いた。
ー四蔵兄に、言ってくれないか。
さもすると、七弥の台詞が頭を過ぎる。
今朝、外で顔を洗っていた折のことだ。七弥がやってきた。何やら思い詰めた顔をしている。近ごろはずっとそうだ。口数が減り、表情も険しい。甚六の前では特に。つんとしていて、取り付く島がない。
七弥は「おはよう」と言い、隣にしゃがんで顔を洗った。そして手拭いに顔を埋めながら、呟くように言った。
「言って欲しいんだ」
「は?」
上手く聞き取れずに声を上げた。七弥は顔を上げ、此方の目をじっと見て、
「四蔵兄に、風兄を避けるなと言って欲しいんだ」
改めて言った。七弥が言うのは意外だったが、確かにそうだ。
この数日、四蔵は調子を崩している。理由は明らかで、風五郎を避けているからだ。
ならば四蔵を風五郎の傍に戻せばよい。だが仮に自分が「戻れ」と言ったとて、おいそれと戻るとは思えなかった。四蔵が自らの言行を恥じ、二度と繰り返すまい、と努めてやっていることだ。そこは汲んでやらねばならない。
加えて、本音を言ってしまえば。
ー戻って欲しくない。
日頃から感じていたが、あの二人は近い。四蔵は風五郎を頼りにしている。いっそ甘えている。しかも風五郎がそれを強く求め、仕向けている感がある。
あの二人は危うい。「少し離れろ」と言いかけて止したのも一度二度ではない。ならば、現状の方が好ましいのではないか。
そこまで考えて、いやと思い直した。これは理屈だ。自分の本心ではない。
ー俺は、甘えて欲しいのだ。
ー風五郎にではなく、俺に。
下唇を噛んだ。浅ましく、それ以上に悔しかった。知っているからだ。四蔵は甘えない。俺にも他の兄弟にも。あいつが甘えるのは、風五郎だけだ。
七弥も薄々気づいているのだろう。だから「戻るように言って欲しい」と言っている。それが悔しく、切なかった。
拗ねた心が、つい口を突いて出た。
「四蔵は頑固だからな。俺が言っても聞く耳を持つか」
言ってすぐ、しまったと思った。七弥の顔がくしゃりと歪む。奥歯を噛んだ。何をしている。自分は兄だ。弟達を守るのは、兄の大事な努めだ。
首を振り、七弥の肩を掴む。涙の滲む瞳を見つめ、そっと語りかけた。
「判った。言ってみる」
努めて笑みを浮かべると、瞳から一筋、涙が零れ落ちた。七弥が顔を伏せ、拳で目元を拭う。そして再び顔を上げると、
「ごめんな、愁兄」
と泣き笑いのような顔で言った。
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