まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

一夜花(3) #小説

「どうして四蔵を一人にした!」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。


ー俺には救えない。
 そう、知っている。


 時刻は四時を回っていた。日は傾き、室内を赤く染めている。立派な客間だ。太い梁。彫りの凝った欄間。眺めていると思い出す。初めてこの家に来たときのことを。
 自分は妻と並んで座り、妻の叔母と叔父を待っていた。叔母は妻の育ての親で、自分達が東京から来た日に訪ねてきた。
 感じの良い人々だった。どちらも小柄で、自分を見上げ「立派な若者だなあ」と嬉しそうに言った。
 一方、自分は緊張していた。握った拳に汗が滲む。顔が熱く、ぼんやりとした、そのときだった。冷えた手が拳を包んだ。妻の手だ。
「あなた」
 妻は言い、微笑んだ。労るような、優しい笑みだった。
 あれから三年が過ぎた。三年前は遠い。十余年前はさらに。年に何度か思い出す程度だった。今日までは。
 目を落とす。部屋の中央に敷いた布団に、青年が横たわっている。
ー四蔵兄。
 十余年前に別れた義兄だ。首を打った後、運び入れた。
 兄を抱えて戻ると、妻は息を呑んだ。だがすぐに頷き、客間に寝床を整えた。自分が兄を寝かせると「蒼といます。何かあればお呼びください」と立った。驚いて、思わず問うた。
「聞かないのか」
 この男の素性を。自分との関係を。だが妻は目元を和らげ、
「大切な方なのですね」
 それだけ判れば十分です、と言わんばかりだった。
「大切な方、か」
 改めて兄の顔を見る。放っておいても、じきに倒れていた。顔は白く、隈は濃い。胸は薄く、朱色の痣が目立つ。情交の、いや、一方的に弄ばれた痕だ。
 信じられなかった。どうして情もない相手に身体を許したのか。何か目的があったのか。思いつくのは金だ。だが、何のための金だ。
 傍らを見やる。兄の荷がある。身分証もあった。広島鎮台所属の軍人のものだ。ならば一定の収入は見込める。男一人なら十分だろう。
 まさか。
ー佐賀はどこからも遠い場所だ。それでも、来てくれるか。
 婿入りの際、義父は言った。佐賀は遠い。広島からも。兄はどうやって来たのか。馬か、船か。何れにせよ旅費はかさむ。
 その前に、どうやって自分の居場所を知ったのか。軍の伝手か。伝手は只では使えない。相応の対価を求められる。
 自分の居場所を知り、旅費を得るために。
 兄は自身を「払った」のではないか。
 手が震える。落ち着け。穿ち過ぎだ。仮にそうだとしても、兄が自ら選んだこと。自分が頼んだわけではないー。
 目を押さえ、頭を垂れる。考えろ。兄を止めなければ。救わなければ。だがどうやって。
 やはり自分には救えない。救えるのは、一人。
「風兄」
 だが。
ーあいつは死んだ。幻刀斎に殺された。
「どうして、死んだんだ」
 ほぞを噛んだ。あんたしか駄目なのに。あんたしか、この人を救えないのに。そう悟ったから退いたのに。忘れもしない、あの夜に。


 確か、自分は十一歳だった。
 春の夜だった。冬の抜けない、寒い夜だった。
 午後七時だったが、居間は静かだった。いつもは皆が夕飯に集うのに、その日は四人。一兄、愁兄、甚六、そして自分。三助兄は彩八の元に行っていた。
 二日前から彩八、そして四蔵兄は床に伏していた。彩八は兄弟が交代で、四蔵兄は風兄一人が看ている。交代を申し出ても、風兄が四蔵兄から離れようとしないのだ。
 襖が開き、三助兄が入ってきた。手には空の椀。兄は囲炉裏に近づいて鍋を覗き、
「おかわりだってよ。寝てるだけなのに、よく腹が減るな」
 頬が弛む。彩八の具合は良いようだ。一時はもう、と思ったが、日ごとに回復している。
「何よりだ」
 椀を手に出て行く三助兄に、一兄が頷く。だが襖が閉じるなり、その顔が曇った。
「問題は、四蔵か」
 甚六が唇を噛み、項垂れる。四蔵兄の具合は、ひどく悪い。
 全ての原因は、二日前のあの事件だ。
 彩八がいなくなった。師に叱られ、家を飛び出した。夜になっても帰らず、兄弟は三手に分かれて山を探した。
 見つけたのは愁兄と四蔵兄だった。彩八は満身創痍だった。京八流に因縁を持った男達に、散々に痛めつけられていた。
 四蔵兄が割って入り、男達を斬った。だが敵も手練で、兄自身も深手を負った。愁兄に担がれて帰ったとき、兄は血塗れだった。顔は赤く、息も荒かった。
「毒だな」
 一目見て、一兄が判じた。
「愁二郎は武器を拾って来い。風五郎は俺と四蔵の手当、残りは彩八を頼む」
 指示に皆が従った。
 半刻ほどで手当は終わった。彩八は命に別状はなく、痛み止めを飲ませるとすぐに寝入った。四蔵兄はそうはいかなかった。何を飲ませるべきか判らない。
 やがて愁兄が武器を持ち帰った。案の定、刀身に管の通った小刀があった。だが管は空で、毒の正体は判らない。
 一兄は苦り切って、
「四蔵に耐えてもらうしかない」
 四蔵兄は毒に強い方だった。だが熱は下がらず、目は虚ろで、舌も回らない。
痛々しく、見るに堪えなかった。だが風兄は、ずっと傍にいる。その様子に「風兄まで倒れちまう」と甚六が、「やりたいようにさせるしかない」と一兄が、「あいつはおかしくなってる」と三助兄が呻いた。
 確かに風兄はおかしい。二日前からずっと。
 愁兄を見やる。その右頬が腫れ上がっている。風兄に殴られたのだ。
「どうして四蔵を一人にした!」
 怒声が、未だ耳に残っている。
 初めて聞いた。風兄のあんな声も。風兄が四蔵兄を「四蔵」と呼んだのも。
 武器を持ち帰った後、改めて愁兄は語った。四蔵兄に頼まれ、彩八を連れて退いたこと。一兄に彩八を預けて戻ったが、戦いは終わり、四蔵兄は満身創痍だったこと。
 それを聞き、風兄は激怒した。兄弟一、穏やかな兄だ。三助兄に「うすのろ」と罵られても「すまない」と頭を垂れる。
 そんな風兄が、怒鳴った。さらに愁兄の襟を掴み、頬に拳を叩き込んだ。もう一発、と振りかぶる。止めなければと思ったが、身体が竦んで動かなかった。
 恐ろしかった。怒り狂う風兄が、恐ろしかった。
「やめろ風兄!やめろってば!」
 飛び出したのは甚六だった。腕一振りで弾かれながら、なお背に縋りつく。
 我に返り、続いた。自分が右、三助兄が左の腕にしがみつき、ようやく風兄は止まった。背を丸めて「すまない」と呟くと、誰とも目を合わさず、その場を後にした。
 それ以降、風兄は四蔵兄に付きっ切りだ。離れるのは風呂と厠、四蔵兄の食事などを取りに行くときのみ。稽古も当番も放り出し、師に殴られても動かない。
 尤も、稽古は皆身が入らず、師も「事が落ち着くまでは無しとする」と諦めた。だが「事が落ち着く」とは、何がどうなることなのか。
 三助兄が戻ってきた。四つだけの顔を見回し、ぼそりと呟いた。
「あいつ、四蔵と心中する気かよ」
 あいつ、とは風兄だろう。「三助兄」と甚六が睨む。「冗談だ。何だその目は」と三助兄が睨み返す。二人とも気が立っている。
 大半の怒りは恐れから生まれる。二人だけではない。皆恐れている。事が最悪の形で落ち着くのを。
 四蔵兄の具合は悪くなるばかりだ。今はもう、粥すら喉を通らない。人は何日食わずに生きられるのか。考えたくもない。
「七弥」
 一兄に呼ばれ、我に返った。
「風五郎に飯を持っていってくれるか」
 来るかもと、風兄の膳は居間に置いていた。だがやはり、来そうにない。頷いて席を立ち、膳を持つ。「頼んだぞ」という甚六の声を背に、居間を後にした。畳む