2026/06/18 Thu 化野四蔵の懊悩(1) #小説 「やだ!四蔵兄がいい!」 酒の席での失態を知り、ひたすら懊悩する四蔵の話です。 全3話予定。 続きを読む ・ 或る秋の日のことである。 その日も彩八は頗る上機嫌だった。理由は一つ。兄弟が皆、彩八の言いなりになっているからだ。 尤も、これは自分達に非があった。彩八を除け者にし、七人で宴を催したのだ。 事を知った彩八は「ずるい!」と泣き喚き、翌日もへそを曲げていた。三助兄いわく「四蔵みてえな」顰め面の妹を前に、兄弟は頭を抱えた。 「彩八の機嫌を取るぞ。何としてもだ」 険しい顔で一兄が言った。皆がごくりと唾を呑み、頷いた。 それから二日、兄弟は妹の言いなりだ。愁兄と甚六は蜂蜜の分け前を奪われ、揃って涙目になった。三助兄は毎夜赤本を読まされ、声が掠れ気味だ。風五郎はやたらと肩車をねだられ、首を擦っている。 一兄だけは別だ。今の彩八でも長兄には気兼ねするらしい。 ともあれ、そういうわけで自分と七弥は今、野原の真ん中に座っている。 「七弥と四蔵兄は、花冠づくりに付き合って」 それが彩八の指示だった。 妙だと思った。七弥は判る。彩八に冠の作り方を教えた。だが自分は違う。「七弥一人で十分ではないか」と言ってみたが、彩八は首を横に振った。 「四蔵兄は見ていて」 どうも妹は自分に冠を作らせる気はないらしい。指示どおり、彩八と七弥が山に入り、花や蔓を集める様子を見ていた。今は家に戻り、二人は冠を編んでいる。 「四蔵兄はこれとこれ、どっちが好き?」 彩八が目を上げ、傍らの花を指して問う。「どっちが」と言われても。だが「花の良し悪しを俺に聞くな」と言えど「良し悪しじゃなくて、好き嫌いを聞いてるの」。 やむなく目につく方を指すと、彩八は深く頷き、それを冠に加える。このやりとりは一体。訝しく思いながらも繰り返すうち、冠は仕上がった。 少しばかり感心した。素人目にも美しく、しっかりとした作りだ。蔓で土台を作り、花や実を挿している。花は白色や紫色で、弁が小ぶりなものが多い。そういえば、全て自分が選んだものだ。 ー俺は、こういうものが「好き」なのか。 彩八は冠を持ち上げ、顔中に笑みを浮かべた。会心の出来らしい。ならば良かった、と目を細めていると、不意に彩八が此方に向き直った。 そして。 「四蔵兄。頭を下げて」 いやな予感がした。 「何故だ」 「下げて」 「だから」 「下げて」 ー彩八の機嫌を取るぞ。何としてもだ。 長兄の声が耳に蘇る。そうだ。そのために皆が骨を折っている。自分だけ逃げるなど許されない。 下唇を噛み、頭を垂れた。案の定、彩八はそっと冠を載せ、きゃあと嬉しげな声を上げた。 「四蔵兄、似合う!」 歯を食い縛って堪える。そんな自分をよそに、彩八は「ね!」と隣に座る七弥の肩を叩いた。七弥はしばし黙していたが、やがて「そうだね」と小声で言い、目を伏せた。 七弥の冠も仕上がっていた。妹のそれよりずっと凝った作りで、目を惹かれる。だがこの流れだと、見とれている場合ではない。 「じゃあ、次は七弥のを載せて」 案の定というか、彩八が冠を外し、七弥に促した。弟は大きく身を震わせ、上目遣いに自分を見た。目だけで「良いのか、四蔵兄」と問う。良しも悪しもない。頭を垂れると、七弥が冠を差し出した。その指もまた震えている。 一方で隣の彩八は目を輝かせ、いざ冠が載るや「四蔵兄、すごく似合う!」と手を叩いた。無心で堪えた。これで終いだと思った。だが、甘かった。 花冠の兄を四方八方から眺めていた彩八が、不意に楽しげな声を上げた。 「ねえ、四蔵兄」 またしてもいやな予感がした。唾を呑み下し、妹の顔を見つめる。すると彩八は満面の笑みを浮かべ、 「膝枕して」 不意に「げほっ」と音がした。七弥が噎せたのだ。咳は続く。「おい」と声を掛けたが、弟は「平気だ」と首を振った。咳が収まると、彩八は此方に向き直り、改めて繰り返した。 「膝枕、して」 「それは愁兄にでも頼め」 或いは風五郎。あの二人が適任だ。だが妹は大きく首を振り、声を強めて言い張った。 「やだ!四蔵兄がいい!」 間を置かず、また「げほっ」と音。やはり七弥だ。だが今度は激しい。身を二つに折り、引っ切り無しに噎せる。収まっても顔を上げず、肩を抱いて震え出した。明らかに様子がおかしい。 「七弥!大丈夫か!」 一兄だ。一兄を呼ばねば。急ぎ立ち上がりかけたが、中腰で止まった。七弥に肩を掴まれたのだ。 「大丈夫だ、噎せた、だけだ」 そう言うが、息は荒く、顔は白い。流石の彩八も顔色を変え「み、水!持ってくる!」と叫び、母屋の裏手へ駆けて行った。小さな背が角に消えた後で、七弥が口を開いた。 「ごめん、四蔵兄。俺が…花冠なんか教えたから」 咳は抜け切らず、声は途切れがちだ。その背を擦りながら答える。 「お前は悪くない。彩八を喜ばせようとしたのだろう」 悪いというなら、妹一人を除け者にした七人皆が悪い。そう続けると、七弥は微かに口元を緩めた。だがやはり顔は白い。 「七弥、本当に大丈夫か」 改めて問うた。七弥は答えず、此方の顔をじっと見た。何かを探るような目だ。 「なあ、四蔵兄」 七弥が問う。 「三日前の晩のこと、覚えてないか」 三日前の晩といえば、件の宴の晩だ。いくらかは覚えている。月は明るく、酒は甘く、とても幸せな気分だった。それ以外は、思い出せない。 「酒は、甘かったな」 「それだけか」 「それだけだな」 答えると、七弥は安堵とも落胆ともつかない、深い溜め息を吐いた。 ・ 結局、彩八は水桶を提げ、三助兄を連れて戻ってきた。途中で見つけて引っ張ってきたらしい。 「大丈夫なのか」 彩八に事情を聞いたのだろう。三助兄は七弥に問うた。「平気だよ」と七弥が答えると「そうは見えねえけど」と首を傾げ、改めて確かめようとしたのか、此方に向き直った。そして、 「なんだそれ」 と言い頭を指した。まだ冠が載っていたのだ。急ぎ外そうとしたが、その手を彩八に掴まれた。 「似合うでしょ」 妹が胸を張り、兄の前に自分を突き出す。だが兄は顰め面で「知らん」と呻き、ふいと視線を逸らした。まじまじと見るのも悪いと思ったのだろう。やはり心根は優しい兄だ。 結局、七弥は風邪らしい、となり、薬を飲むために庭の小屋に行った。三助兄と彩八が付き添い、自分は一人、土間に向かった。七弥と飯の係を代わろうと思ったのだ。 道すがら、ふと考えた。先程、七弥が問うたことだ。 ー三日前の晩のこと、覚えてないか。 宴で、何かあったのだろうか。改めて振り返るが、やはり思い出せない。 歩いていると、背後で足音がした。この音は、風五郎だ。振り返ると、やはり弟が近づいていた。桶を提げた竿を肩に載せている。川で水を汲んで来たのだ。 目が合うなり、弟は少しばかり目を丸くし、 「それ、どうしたんだ」 と言い頭を指した。何かついているのか、と手を上げかけたが、先に弟の手が伸びてきた。指先が髪に触れ、何か白いものを摘み上げる。花弁だ。冠から落ちたのだろう。 弟は二つ、三つと除き、その手を頭に置いた。髪が跳ねていたらしく、徐ろに撫でつける。温かな重みに、つい頬が緩む。 だが、そこで閃くものがあった。月明かりの庭。空の竹筒。甘い匂い。そして、温かな重み。 ーこれだ。 全身が震え、思わず問うていた。 「俺は、何をしていた」 「いつのことだ」 首を傾げ、弟が問う。 「三日前の酒の席だ。俺は何をしていた」 「何って、酒を飲んで」 「その後だ」 畳み掛けると、弟は黙り、腕を組んで俯いた。何か考えるときの癖だ。 しばしそうしていたが、やがて弟は腕を解いた。そして顔を上げ、 「ごめんな、俺もよく覚えていないんだ」 と詫びた。嘘だ、と思った。弟の声が微かに上ずっている。そして弟が噓を吐くのは、相手を傷つけまいとするときだ。 つまり、知れば傷つきかねない失態を、自分は犯したーのではないか。 顔から血の気が引いていく。知りたくはない。だが、知らねばならない。 「風五郎」 名を呼び、襟を掴む。弟が自分を見た。常にない強い光を宿した、その目を見て悟った。いくら質そうと弟は口を割るまい。此方を傷つけぬために。 手を離し、踵を返した。 「四蔵兄!」 声を背に駆け出した。長兄ははぐらかす。七弥と風五郎は黙る。愁兄と三助兄もおそらく。 となれば、あいつしかいない。あの夜の出来事を、洗いざらい喋りそうな奴は。 畳む
「やだ!四蔵兄がいい!」
酒の席での失態を知り、ひたすら懊悩する四蔵の話です。
全3話予定。
・
或る秋の日のことである。
その日も彩八は頗る上機嫌だった。理由は一つ。兄弟が皆、彩八の言いなりになっているからだ。
尤も、これは自分達に非があった。彩八を除け者にし、七人で宴を催したのだ。
事を知った彩八は「ずるい!」と泣き喚き、翌日もへそを曲げていた。三助兄いわく「四蔵みてえな」顰め面の妹を前に、兄弟は頭を抱えた。
「彩八の機嫌を取るぞ。何としてもだ」
険しい顔で一兄が言った。皆がごくりと唾を呑み、頷いた。
それから二日、兄弟は妹の言いなりだ。愁兄と甚六は蜂蜜の分け前を奪われ、揃って涙目になった。三助兄は毎夜赤本を読まされ、声が掠れ気味だ。風五郎はやたらと肩車をねだられ、首を擦っている。
一兄だけは別だ。今の彩八でも長兄には気兼ねするらしい。
ともあれ、そういうわけで自分と七弥は今、野原の真ん中に座っている。
「七弥と四蔵兄は、花冠づくりに付き合って」
それが彩八の指示だった。
妙だと思った。七弥は判る。彩八に冠の作り方を教えた。だが自分は違う。「七弥一人で十分ではないか」と言ってみたが、彩八は首を横に振った。
「四蔵兄は見ていて」
どうも妹は自分に冠を作らせる気はないらしい。指示どおり、彩八と七弥が山に入り、花や蔓を集める様子を見ていた。今は家に戻り、二人は冠を編んでいる。
「四蔵兄はこれとこれ、どっちが好き?」
彩八が目を上げ、傍らの花を指して問う。「どっちが」と言われても。だが「花の良し悪しを俺に聞くな」と言えど「良し悪しじゃなくて、好き嫌いを聞いてるの」。
やむなく目につく方を指すと、彩八は深く頷き、それを冠に加える。このやりとりは一体。訝しく思いながらも繰り返すうち、冠は仕上がった。
少しばかり感心した。素人目にも美しく、しっかりとした作りだ。蔓で土台を作り、花や実を挿している。花は白色や紫色で、弁が小ぶりなものが多い。そういえば、全て自分が選んだものだ。
ー俺は、こういうものが「好き」なのか。
彩八は冠を持ち上げ、顔中に笑みを浮かべた。会心の出来らしい。ならば良かった、と目を細めていると、不意に彩八が此方に向き直った。
そして。
「四蔵兄。頭を下げて」
いやな予感がした。
「何故だ」
「下げて」
「だから」
「下げて」
ー彩八の機嫌を取るぞ。何としてもだ。
長兄の声が耳に蘇る。そうだ。そのために皆が骨を折っている。自分だけ逃げるなど許されない。
下唇を噛み、頭を垂れた。案の定、彩八はそっと冠を載せ、きゃあと嬉しげな声を上げた。
「四蔵兄、似合う!」
歯を食い縛って堪える。そんな自分をよそに、彩八は「ね!」と隣に座る七弥の肩を叩いた。七弥はしばし黙していたが、やがて「そうだね」と小声で言い、目を伏せた。
七弥の冠も仕上がっていた。妹のそれよりずっと凝った作りで、目を惹かれる。だがこの流れだと、見とれている場合ではない。
「じゃあ、次は七弥のを載せて」
案の定というか、彩八が冠を外し、七弥に促した。弟は大きく身を震わせ、上目遣いに自分を見た。目だけで「良いのか、四蔵兄」と問う。良しも悪しもない。頭を垂れると、七弥が冠を差し出した。その指もまた震えている。
一方で隣の彩八は目を輝かせ、いざ冠が載るや「四蔵兄、すごく似合う!」と手を叩いた。無心で堪えた。これで終いだと思った。だが、甘かった。
花冠の兄を四方八方から眺めていた彩八が、不意に楽しげな声を上げた。
「ねえ、四蔵兄」
またしてもいやな予感がした。唾を呑み下し、妹の顔を見つめる。すると彩八は満面の笑みを浮かべ、
「膝枕して」
不意に「げほっ」と音がした。七弥が噎せたのだ。咳は続く。「おい」と声を掛けたが、弟は「平気だ」と首を振った。咳が収まると、彩八は此方に向き直り、改めて繰り返した。
「膝枕、して」
「それは愁兄にでも頼め」
或いは風五郎。あの二人が適任だ。だが妹は大きく首を振り、声を強めて言い張った。
「やだ!四蔵兄がいい!」
間を置かず、また「げほっ」と音。やはり七弥だ。だが今度は激しい。身を二つに折り、引っ切り無しに噎せる。収まっても顔を上げず、肩を抱いて震え出した。明らかに様子がおかしい。
「七弥!大丈夫か!」
一兄だ。一兄を呼ばねば。急ぎ立ち上がりかけたが、中腰で止まった。七弥に肩を掴まれたのだ。
「大丈夫だ、噎せた、だけだ」
そう言うが、息は荒く、顔は白い。流石の彩八も顔色を変え「み、水!持ってくる!」と叫び、母屋の裏手へ駆けて行った。小さな背が角に消えた後で、七弥が口を開いた。
「ごめん、四蔵兄。俺が…花冠なんか教えたから」
咳は抜け切らず、声は途切れがちだ。その背を擦りながら答える。
「お前は悪くない。彩八を喜ばせようとしたのだろう」
悪いというなら、妹一人を除け者にした七人皆が悪い。そう続けると、七弥は微かに口元を緩めた。だがやはり顔は白い。
「七弥、本当に大丈夫か」
改めて問うた。七弥は答えず、此方の顔をじっと見た。何かを探るような目だ。
「なあ、四蔵兄」
七弥が問う。
「三日前の晩のこと、覚えてないか」
三日前の晩といえば、件の宴の晩だ。いくらかは覚えている。月は明るく、酒は甘く、とても幸せな気分だった。それ以外は、思い出せない。
「酒は、甘かったな」
「それだけか」
「それだけだな」
答えると、七弥は安堵とも落胆ともつかない、深い溜め息を吐いた。
・
結局、彩八は水桶を提げ、三助兄を連れて戻ってきた。途中で見つけて引っ張ってきたらしい。
「大丈夫なのか」
彩八に事情を聞いたのだろう。三助兄は七弥に問うた。「平気だよ」と七弥が答えると「そうは見えねえけど」と首を傾げ、改めて確かめようとしたのか、此方に向き直った。そして、
「なんだそれ」
と言い頭を指した。まだ冠が載っていたのだ。急ぎ外そうとしたが、その手を彩八に掴まれた。
「似合うでしょ」
妹が胸を張り、兄の前に自分を突き出す。だが兄は顰め面で「知らん」と呻き、ふいと視線を逸らした。まじまじと見るのも悪いと思ったのだろう。やはり心根は優しい兄だ。
結局、七弥は風邪らしい、となり、薬を飲むために庭の小屋に行った。三助兄と彩八が付き添い、自分は一人、土間に向かった。七弥と飯の係を代わろうと思ったのだ。
道すがら、ふと考えた。先程、七弥が問うたことだ。
ー三日前の晩のこと、覚えてないか。
宴で、何かあったのだろうか。改めて振り返るが、やはり思い出せない。
歩いていると、背後で足音がした。この音は、風五郎だ。振り返ると、やはり弟が近づいていた。桶を提げた竿を肩に載せている。川で水を汲んで来たのだ。
目が合うなり、弟は少しばかり目を丸くし、
「それ、どうしたんだ」
と言い頭を指した。何かついているのか、と手を上げかけたが、先に弟の手が伸びてきた。指先が髪に触れ、何か白いものを摘み上げる。花弁だ。冠から落ちたのだろう。
弟は二つ、三つと除き、その手を頭に置いた。髪が跳ねていたらしく、徐ろに撫でつける。温かな重みに、つい頬が緩む。
だが、そこで閃くものがあった。月明かりの庭。空の竹筒。甘い匂い。そして、温かな重み。
ーこれだ。
全身が震え、思わず問うていた。
「俺は、何をしていた」
「いつのことだ」
首を傾げ、弟が問う。
「三日前の酒の席だ。俺は何をしていた」
「何って、酒を飲んで」
「その後だ」
畳み掛けると、弟は黙り、腕を組んで俯いた。何か考えるときの癖だ。
しばしそうしていたが、やがて弟は腕を解いた。そして顔を上げ、
「ごめんな、俺もよく覚えていないんだ」
と詫びた。嘘だ、と思った。弟の声が微かに上ずっている。そして弟が噓を吐くのは、相手を傷つけまいとするときだ。
つまり、知れば傷つきかねない失態を、自分は犯したーのではないか。
顔から血の気が引いていく。知りたくはない。だが、知らねばならない。
「風五郎」
名を呼び、襟を掴む。弟が自分を見た。常にない強い光を宿した、その目を見て悟った。いくら質そうと弟は口を割るまい。此方を傷つけぬために。
手を離し、踵を返した。
「四蔵兄!」
声を背に駆け出した。長兄ははぐらかす。七弥と風五郎は黙る。愁兄と三助兄もおそらく。
となれば、あいつしかいない。あの夜の出来事を、洗いざらい喋りそうな奴は。
畳む