2026/05/01 Fri 一夜花(5) #小説 「あんな四蔵兄を見たら、三助兄はきっと」 蠱毒前の四蔵と七弥の話です。 続きを読む・ ー何を、しているのだろう。 真っ白な便箋に溜め息が落ちた。筆を執るが、書き出せず置く。その繰り返しで、もう小一時間が経つ。 兄の文の返事だ。いつもは考えずとも文面が浮かぶが、今日は違う。 ー四蔵兄のことを書くか否か。 迷い、筆が進まない。 兄との再会から七日が経つ。兄は報せもなく家を訪れ、挙げ句「幻刀斎はいる」「風五郎は殺された」と、それだけ告げて去ろうとした。その言動、いや兄の全てが異常だった。 ーこの人は、放っておいたら死ぬ。 そう感じ、気づけば首を打っていた。気を失った兄を前に、途方にくれた。 家に運び、布団に寝かせると、やがて兄は目を覚ました。自分の顔を見て「俺は、倒れたのか」と問う兄に「そうだよ」と頷く。噓だった。だが事実を告げて詫びるより他に、聞きたいことが山ほどあった。 だが、聞きにくい。言い出せずにいると、兄が身を起こし、さらに「世話になった」と言って腰を浮かした。行くつもりだ。 「待ってくれ」 身を乗り出し、肩を掴んで押し戻す。 「どうして四蔵兄は幻刀斎と風兄のことを知ったんだ」 詳しく話してくれないか。そう続けると、兄は顔を顰めた。 やはり昔の兄とは違う。無愛想で無口だが、こうもぞんざいではなかった。 「とりあえず、俺の話を聞いてくれ」 呼び水になれば。そう思い、語った。山を降りた後、三助兄と共にいたこと。東京で妻と知り合い、義父の伝手で佐賀県庁の役人となったこと。 「四蔵兄さんはどうだ」 またしても兄は顔を顰めた。だが「どうだ」と押すと、溜め息を吐き、一応は語った。 山を降り、一人で各地を転々とし、教導団を経て広島鎮台所属の軍人となったこと。西南の役から帰って風兄の死を知り、兄弟を捜し始めたこと。 「四蔵兄さん」 口を挟む。改めて聞かなければならなかった。 「風兄は、本当に幻刀斎に殺されたのか」 他の兄弟や、あんたにではなく。 兄の顔を見つめる。兄は眉一つ動かさず、頷いた。 「諏訪に行って確かめた。家に剣の跡が残っていた。兄弟のものとは違った」 違和感を覚えた。「諏訪」という地名が、やけに兄の舌に馴染んでいる気がした。 「兄さんは、そのとき初めて諏訪に行ったのか」 兄の瞳が、微かに揺れたように見えた。だがそれも一瞬で、何事もない調子で兄は言った。とんでもないことを。 「鎮台に行く前に、そこにいると知って訪ねた。そのときに巨門を託された」 「な」 思わず声を上げていた。 「風兄は、巨門を四蔵兄に託したのか。どうして」 声が大きくなる。身を乗り出す自分に対し、兄は一言。 「あいつは「無事に帰ってきてくれ」と言っていた」 他人のやりとりを語るように、抑揚のない口調だった。 判らなかった。風兄の行いではない。それを語る四蔵兄の様子が。あんた本当に四蔵兄か。そう喚きたい。だが判っている。この人は四蔵兄だ。 臍を噛んで俯く。そんな自分に何を思ったのか、兄は「確かめるか」と腕を差し出した。確かめるまでもない。巨門の話は真だろう。 だが他は違う。たとえば「一人で各地を転々としていた」。風兄が四蔵兄を放っておくはずがない。 ー兄さんは、風兄といたんだろ。 言ってどうする。二人の間のこと。自分が踏み込むべきではない。正直、踏み込むのが怖い。だがそうしなければ、きっと兄は死ぬ。瞼の裏に赤い痣がちらつく。頭が揺れ、額を押さえる。 兄は気に止めず、立ち上がり背を向けた。襟の上のうなじは、やはり骨のように白い。 「待てよ」 立って兄の肩を掴み、息を呑む。薄い。何も入っていないみたいに。 兄が手を払う。空を掴んで思い知る。 ーやはり、俺には無理だ。 そのときだった。軽い足音、さらに「いけません!」と声。息子が目覚め、廊下を駆けている。やがて足音が近づき、襖が開いた。 「おとうさん」 満面の笑みが、強ばる。兄の姿に戸惑ったのだろう。入口で立ち尽くす。その肩に細い手が乗った。 「いけませんと言っているでしょう」 妻である。息子を「めっ」と叱った後で、兄に向かい「すみません」と詫びた。 兄は立ち尽くしていた。だがやがて「こちらこそ」と言い、傍らを擦り抜けて廊下に出た。「四蔵兄!」と呼んでも、振り返ることなく家を出ていった。 今は鎮台だろう。そして近いうちに三助兄を訪ねる。幻刀斎に気をつけろ。そう伝えるために。 首すじが粟立つ。三助兄にとって恐ろしいのは、幻刀斎より四蔵兄ではないか。 ーあんな四蔵兄を見たら、三助兄はきっと。 打ちひしがれるだろう。罵り、殴り、痛め、痛み、そして「だめだ」と泣く。あの夜と同じ顔で、きっと。畳む
「あんな四蔵兄を見たら、三助兄はきっと」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。
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ー何を、しているのだろう。
真っ白な便箋に溜め息が落ちた。筆を執るが、書き出せず置く。その繰り返しで、もう小一時間が経つ。
兄の文の返事だ。いつもは考えずとも文面が浮かぶが、今日は違う。
ー四蔵兄のことを書くか否か。
迷い、筆が進まない。
兄との再会から七日が経つ。兄は報せもなく家を訪れ、挙げ句「幻刀斎はいる」「風五郎は殺された」と、それだけ告げて去ろうとした。その言動、いや兄の全てが異常だった。
ーこの人は、放っておいたら死ぬ。
そう感じ、気づけば首を打っていた。気を失った兄を前に、途方にくれた。
家に運び、布団に寝かせると、やがて兄は目を覚ました。自分の顔を見て「俺は、倒れたのか」と問う兄に「そうだよ」と頷く。噓だった。だが事実を告げて詫びるより他に、聞きたいことが山ほどあった。
だが、聞きにくい。言い出せずにいると、兄が身を起こし、さらに「世話になった」と言って腰を浮かした。行くつもりだ。
「待ってくれ」
身を乗り出し、肩を掴んで押し戻す。
「どうして四蔵兄は幻刀斎と風兄のことを知ったんだ」
詳しく話してくれないか。そう続けると、兄は顔を顰めた。
やはり昔の兄とは違う。無愛想で無口だが、こうもぞんざいではなかった。
「とりあえず、俺の話を聞いてくれ」
呼び水になれば。そう思い、語った。山を降りた後、三助兄と共にいたこと。東京で妻と知り合い、義父の伝手で佐賀県庁の役人となったこと。
「四蔵兄さんはどうだ」
またしても兄は顔を顰めた。だが「どうだ」と押すと、溜め息を吐き、一応は語った。
山を降り、一人で各地を転々とし、教導団を経て広島鎮台所属の軍人となったこと。西南の役から帰って風兄の死を知り、兄弟を捜し始めたこと。
「四蔵兄さん」
口を挟む。改めて聞かなければならなかった。
「風兄は、本当に幻刀斎に殺されたのか」
他の兄弟や、あんたにではなく。
兄の顔を見つめる。兄は眉一つ動かさず、頷いた。
「諏訪に行って確かめた。家に剣の跡が残っていた。兄弟のものとは違った」
違和感を覚えた。「諏訪」という地名が、やけに兄の舌に馴染んでいる気がした。
「兄さんは、そのとき初めて諏訪に行ったのか」
兄の瞳が、微かに揺れたように見えた。だがそれも一瞬で、何事もない調子で兄は言った。とんでもないことを。
「鎮台に行く前に、そこにいると知って訪ねた。そのときに巨門を託された」
「な」
思わず声を上げていた。
「風兄は、巨門を四蔵兄に託したのか。どうして」
声が大きくなる。身を乗り出す自分に対し、兄は一言。
「あいつは「無事に帰ってきてくれ」と言っていた」
他人のやりとりを語るように、抑揚のない口調だった。
判らなかった。風兄の行いではない。それを語る四蔵兄の様子が。あんた本当に四蔵兄か。そう喚きたい。だが判っている。この人は四蔵兄だ。
臍を噛んで俯く。そんな自分に何を思ったのか、兄は「確かめるか」と腕を差し出した。確かめるまでもない。巨門の話は真だろう。
だが他は違う。たとえば「一人で各地を転々としていた」。風兄が四蔵兄を放っておくはずがない。
ー兄さんは、風兄といたんだろ。
言ってどうする。二人の間のこと。自分が踏み込むべきではない。正直、踏み込むのが怖い。だがそうしなければ、きっと兄は死ぬ。瞼の裏に赤い痣がちらつく。頭が揺れ、額を押さえる。
兄は気に止めず、立ち上がり背を向けた。襟の上のうなじは、やはり骨のように白い。
「待てよ」
立って兄の肩を掴み、息を呑む。薄い。何も入っていないみたいに。
兄が手を払う。空を掴んで思い知る。
ーやはり、俺には無理だ。
そのときだった。軽い足音、さらに「いけません!」と声。息子が目覚め、廊下を駆けている。やがて足音が近づき、襖が開いた。
「おとうさん」
満面の笑みが、強ばる。兄の姿に戸惑ったのだろう。入口で立ち尽くす。その肩に細い手が乗った。
「いけませんと言っているでしょう」
妻である。息子を「めっ」と叱った後で、兄に向かい「すみません」と詫びた。
兄は立ち尽くしていた。だがやがて「こちらこそ」と言い、傍らを擦り抜けて廊下に出た。「四蔵兄!」と呼んでも、振り返ることなく家を出ていった。
今は鎮台だろう。そして近いうちに三助兄を訪ねる。幻刀斎に気をつけろ。そう伝えるために。
首すじが粟立つ。三助兄にとって恐ろしいのは、幻刀斎より四蔵兄ではないか。
ーあんな四蔵兄を見たら、三助兄はきっと。
打ちひしがれるだろう。罵り、殴り、痛め、痛み、そして「だめだ」と泣く。あの夜と同じ顔で、きっと。畳む