まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

一夜花(4) #小説

「俺は、心配することしかできないからだ」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。


ー俺は、風兄が怖い。
ーでも、四蔵兄のほうが、もっと怖い。


 膳を持って庭に降りた。四蔵兄は庭の小屋で寝ている。母屋から離れていて、兄弟は体調を崩すと小屋に篭もる。
 一番多いのが四蔵兄だ。剣は強いが身体は弱い。三月に一度は熱を出して篭もる。だから三助兄は皮肉って「四蔵の部屋」と呼ぶ。
 庭を歩く。新月で暗く、足は鈍くなる。いや、暗いからではない。怖いからだ。
ー俺は、風兄が怖い。
 愁兄を殴打したきり、風兄は落ち着いている。四蔵兄から離れない点を除けば、いつもどおり、穏やかで優しい。いっそ三助兄の方が、四蔵兄が心配だからか、明らかに気が立ち、当たりがきつい。
 だがそれでも、三助兄より風兄のほうが怖い。特に強く感じるようになったのは、三月ほど前。風兄が消えた、あの一件からだ。


 風兄が消えた。
 睦月の初め、大雪の日だった。朝から牡丹雪が降り続け、夕方には腰の高さまで積もっていた。夜になっても止まず、一兄に「雪かきに備えて早く寝ろ」に促され、皆早く床についた。
 ひどく寒い夜だった。彩八は「さむくてねむれない」と愁兄の布団に潜り込み、甚六も「七弥、身体貸せ」と巻きついてきた。
 他の兄弟は各々の布団で寝ていた。けれど明日、目覚めたら風兄は四蔵兄を抱き込んでいるのだろうな。そう思いながら眠りに落ちた。
 だが、当ては外れた。目覚めると、風兄の布団は空だった。厠かと思ったが、家のどこにも見当たらない。皆で呼んでも返事がない。
 山に出たのか。どうして。雪は胸の高さだ。こんな大雪で、何のために。
 兄弟は困惑した。「はしゃいで出て行って、帰れなくなったのか」と甚六が言い「お前じゃねえんだから」と三助兄が返す。「山に忘れ物をして、取りに行ったのかもしれない」と愁兄が言い「風五郎を捜すぞ」と一兄が締め、皆で雪かきに勤しんだ。
 雪は重く、骨が折れた。家の周りだけで一日掛かった。
 翌日、翌々日は山を探した。温かく、雪は融けた。普段行く辺りは全て探したが、風兄は見つからなかった。
「山を降りたのかもな」
 三助兄がぼそりと言った。
「まさか」
「風兄は兄弟を置いていく奴じゃねえよ」
 愁兄と甚六が声を上げた。彩八も「そうだよ」と続いたが、自分は黙っていた。「兄弟を置いて」ではなく「四蔵兄を置いて」では。そう思ったことを後ろめたく感じながら。
 四蔵兄も黙っていた。顔を窺い、ぞっとした。まるで人形だった。一切の表情も、感情もないように見えた。目を伏せた。見てはならないものを見た気がした。
 結局、二日を経て風兄は帰ってきた。甚六の言ったとおり、雪見に出て、大雪で帰るのが遅れたという。
「すまない」
 眉を八の字にして風兄は詫びた。甚六と彩八が泣いて抱きつき、三助兄が「うるせえ」と唸り、愁兄が「無事で何より」と肩を叩き、一件は落着した。
 だがおそらく、雪見ではなかった。そして一兄と四蔵兄は、そうと知っていた。三人は同じ顔をしていた。薄い笑みの下に、翳を孕んでいた。
 問い質そうとは思わなかった。怖かったからだ。まずは風兄が。帰った後、ひどく険しい顔をするようになった。人知れず四蔵兄を見つめて。
 四蔵兄もまた怖かった。風兄はさもすると「壊されそうで」怖い。対して四蔵兄は「壊れそうで」怖い。理由は判らなかった。だが今回の件で、判った。
ーこの人は、放っておいたら死ぬ。
 他人は重く、自身は軽い。だから見返りも求めず、一切を放り出す。それが一番怖い。
 四蔵兄は怖い。見ていると、苦しみ、悲しさ、寂しさが込み上げてくる。
 そして。
ーせつないな。
 甚六の声が頭を過った。春先に、茶けて落ちた木蓮の花弁を拾い「なんか、せつないな」とぽつりと言っていた。


 ともあれ、小屋には怖い二人が揃っている。しかも危うい状態で。
 唾を呑み、足音を忍ばせて近づく。微かに声が聞こえる。四蔵兄の声だ。
 戸口の前に立ち、脇のかめに膳を置く。声は続いている。息を殺して戸に顔を寄せ、中を覗き込む。風兄の大きな背中と、横たわる四蔵兄が見えた。
ー見なければよかった。
 そう思ってしまった。四蔵兄はやつれ、苦しげだった。熱が高いのか、顔は赤く汗ばんでいる。目も虚ろだ。それでも必死に唇を動かしている。
「⋯を、するな」
 聞き取れなかったのか、風兄が顔を寄せる。四蔵兄が繰り返す。
「俺に付き合って、お前まで、無理、をするな」
 言い終えるなり、噎せた。
ー無理をしているのは、どっちだ。
 どうしてこの兄は、無頓着に、無造作に、その身を削って止まないのか。
 ほぞを噛んだ。噛みながら、風兄の背が震えるのを見た。泣いているのかと思っていると、その腕が動いた。枕元の椀を持ち上げる。夕方に届けた重湯だが、ほとんど手つかずだ。
 風兄は椀を四蔵兄の口元に運ぶ、かと思いきや、自ら口をつけた。そして空いた腕で四蔵兄を抱き起こす。四蔵兄が首を傾げ、風兄を見つめる。
「ふう」
 風五郎、と呼ぶ声は、そこで途切れた。風兄と四蔵兄の顔が、唇が重なっていた。
「んっ」
 四蔵兄が潜った声を漏らす。風兄の肩を掴み、押し戻そうともがく。だが風兄はびくともせず、四蔵兄を抱き込んでいく。
 危険だ、と思った。四蔵兄の身体には、未だ毒が残っている。薄まってはいるが、むやみに触れるべきではない。しかも風兄は毒に弱い。四蔵兄より重篤になる恐れすらある。
 判っているから、四蔵兄は抗う。だが風兄は離さない。四蔵兄の手から力が抜けていく。肩から背に滑り落ち、そこで止まった。四蔵兄が爪を立て、風兄の衣を掴んでいた。幼子が母親に縋るように。
 四蔵兄の喉が一度、大きく上下した。飲み込んだのだ。さらに二度、三度と続く。
 ようやく風兄が四蔵兄を離した。だがまた重湯を含み、口づける。四蔵兄は抗わなかった。風兄の頭を抱き込み、注がれるままに飲み干していた。
 風の、葉擦れの、一切の音が消えた気がした。自分の呼吸と鼓動。それしか聞こえない。
ー俺は今、何を見ているんだろう。何を感じているんだろう。
 判らなかった。全身が小刻みに震えている。憤怒でも歓喜でもない。恐怖から。
 怖かった。風兄の背から、四蔵兄の指先から迸る、狂気じみた何か。それが怖くて仕方なかった。
 離れなければ。そう思うが、身体が動かない。
「⋯はあっ」
 どれほど経ったのだろう。四蔵兄が息を吐き、二人が布団に沈む。それでようやく足が動いた。二歩、三歩と後ずさり、踵を返して駆け出した。
 居間には戻れない。母屋を横切り、裏の藪へと全力で駆けた。その間中、先程の光景の断片が浮かんでは消えた。どれだけ駆けてもついてくる。影のように。
 ふいに身体が浮いた。続けざまに衝撃。転んだらしい。手と膝に鋭い痛みが走る。
 起きはしたが、立てなかった。膝を抱いて顔を埋める。目頭が熱い、と思ったら、えっ、うっ、と嘔吐くような声が出た。嗚咽だった。
 泣いていた。理由は判らない。だから止めようがない。座り込み、泣き続けた。
 かさ、と葉を踏む音がして、身体が跳ねた。振り返り、固まった。五間ほど離れた場所に、人が立っている。甚六だ。
 表情は判らない。だが、困惑は感じ取れた。
 甚六は問うだろう。「どうして泣いている」と。自分も知りたい。どうして泣いている。恐怖か。違う。これは。
 もうぐちゃぐちゃだ。甚六を見ている間も、涙はとめどなく溢れていた。
 甚六は立ち尽くしていた。だがやがて歩き出し、自分の前まで来てしゃがみこんだ。突き出された甚六の膝に、傷があった。甚六は怪我が多い。後先考えずに動くからだ。
 そんなことをぼんやり思っていると、頭に重みを感じた。甚六の手だ。ひどくやさしい手つきで頭を撫でながら、甚六は言った。
「お前も、四蔵兄が心配なんだよな」
 だから泣いてるんだよな、と続ける。
ーちがう。
 心配はしている。だが今、泣くのは。泣くほど悲しくて口惜しいのは。
ー俺は、心配することしかできないからだ。
 俺にはできない。風兄のように尽くすことが。四蔵兄が自分を求めないから。まず拒まれる。辛うじて受け入れられても、縋られはしない。
 俺にはできない。四蔵兄のように縋ることも。甚六は優しい。縋って泣けたら楽になれる。判っていて、できない。それはとてもずるい、裏切りのような気がした。
 顔を伏せ、泣き続けた。かなしい、さびしい、くやしい、そして。
ーせつないな。
 甚六の声が、また頭を過った。
 そうだ。
 俺は今、とてもせつない。畳む