まぼろし

イクサガミの二次創作をしています

一夜花(1) #小説

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「昨夕、お客様がありました」
蠱毒前の四蔵と七弥の話です。


 永い、
 永い夜が始まる。


「ーきて」
 声がした。
「おきて」
 また声がして気がついた。瞼を上げると、真ん丸の大きな目が二つ。寝ぼけ眼の自分の顔が映っている。
「蒼(そう)」
 息子だ。歳は三つ。息子は腹に跨り、顔を覗き込んでいる。
「重いぞ」
 たしなめながら身を起こす。だが息子は退かず、腹にしがみつく。脇に手を入れ「えい」と持ち上げると「たかい、たかい」と笑う。顔に光が照り、まばゆい。
 障子は開いていた。外は明るい。時は五月。雲一つない快晴だ。風は温く、甘い匂いがする。米の炊ける匂いだ。
 布団を抜け、息子の手を取る。手をつなぎ、居間へ向かう。襖を引くと、土間に女の後ろ姿が見えた。台の前に立ち、菜切り包丁をとんとんと鳴らしている。
「あや(文)」
 妻だ。妻は振り返り、顔を綻ばせた。
「おはようございます」
 頭を垂れるが、手は乱れない。器用だな、と見入っていると、ふと息子が手を解いた。母の元へ行くつもりだ。むやみに止めるとへそを曲げる。
「ここで待とうな」
 言いながら持ち上げ、肩に乗せてやる。息子は肩車が好きだ。はしゃいで「おにわ」と繰り返す。庭に出ろという意味だ。
「後でな」とはぐらかしていると、文が膳を運んできた。「ひどい寝癖です」と笑うのに「蒼がやったんだ」と返すと、また笑った。
 息子を下ろし、膳の前に座る。寂しい気がするのは、普段は四人か五人だから。自分達と義父で四人、志津を加えて五人。
 義父は一昨日、東京に発った。出張で、ひと月は戻らない。志津は通いの女中で、今日は休み。自分も休みだ。
「ゆっくり寝かせて差し上げたかったのですが」
 妻が箸を止める。そして横目で息子を見、詫びた。
「いっしょに、と言って聞かなくて。お疲れでしょうに、ごめんなさい」
 確かに、疲れていた。
 昨日は帰りが遅かった。宴会だ。地元の公職者の集まりだった。
 気は進まなかった。あの集まりはいつも荒れる。特に昨日はひどかった。始めは皆、礼儀正しく振る舞っていたが、半ばから無礼講になり、挙げ句に娼妓が加わった。
 女が襟を開き、白い乳房を晒す。男は女を抱え、肢体を撫で回す。見るに堪えず、ずっと膳を睨んでいた。二度と出まい、と誓いながら。
「おまえが詫びることではないよ」
 詫びるべきは自分だ。申し訳なく思いながらも、箸を動かす。朝飯は一汁一菜だ。汁の具は山芋、菜は若布。心遣いを感じながら汁を啜っていると、妻が口を開いた。
「そうそう、昨夕、お客様がありました」
 この家には客が多い。主に義父の知人だ。だが妻は続けた。
「七弥という者はいるか、と」
 驚いた。どんな者かと問うと、若い男で、歳も身丈も自分と似ていたという。
ー三助兄か。
 自分には義兄が六人と義妹がいる。三助兄は上から三番目の兄だ。二十余年を共に過ごしたが、三年前、互いの結婚を機に別れた。兄は東京で車夫をしており、たまに文をくれる。愚痴も多いが、恙なくやっているようだ。
 だが、三助兄ではないだろう。先に文で報せるはず。ならば他の兄か、と思い、胸がざわついた。
ー継承戦だ。兄弟で殺し合え。全ての奥義を集めろ。
 父と慕った師は、八人の兄弟にこう命じた。だが、一人の逃走で事はうやむやになり、七人は別れて山を降りた。
 その後、自分は三助兄と生きてきたが、他の五人の行方は知れない。手掛かりもない。求めてもいない。
 顔を合わせれば、きっと「この人は俺を殺そうとした」という憎悪と恐怖、そして「俺はこの人を殺そうとした」という後ろめたさで、息が苦しくなる。
 少なくとも三助兄とはそうだった。兄も同感らしい。よって今さら会いには来ない。まさか奥義を奪いに、とも思いかけたが、これもない。それならば、まずは妻子を質に取る。
 義父に引き合わされた内の誰か。それが妥当な線に思えた。
「他に特徴は」
 何気なく問うと、妻は押し黙った。「どうした」と促すと「えっと」と目を泳がせ、やがて小声で言った。
「とても、美しい方でした。この辺りでは、まず見ない顔で」
 朱の差す頬を隠すように、妻は俯き、
「貴方は留守だと言うと「改めて参る」と帰られました。私は引き留めたのですが」
「な」
 思わず声を上げた。母子二人の家に、男を上げるなど不用心だ。妻は首を竦め「すみません」と詫びたが、
「私も危ないとは思ったのです。ですが、とても具合が悪そうで」
 妻の瞳が揺れる。相手が心配らしい。
「具合が悪そうというのは、病か」
「判りません」
 だがひどく顔色が悪かった。何より目が虚ろで、心もとない感じがした。
「だから、放っておけなかったのです」
 溜め息が漏れた。笑いを含んだ溜め息だ。
 この人は、お人好しだ。出会ったとき、妻は男に胸ぐらを掴まれていた。男が別の女に絡むのを止めに入ったからだという。
 妻に武の心得はない。「いくら何でも考えなしだ」となじったが、妻は一言「殴られても、放っておけなかったのです」と言い切った。その唇は震えていた。それを見て、自分もまた、放っておけないと思ったのだっけ。
 思い出し、口元が緩む。
 とりあえず、危険な者ではなさそうだ。なら待とう。汚れた息子の口を拭う妻を眺めながら、再び箸を動かした。畳む